06 傷だらけの初陣














 アルメリアは大破したアインツェイルからレーネが離れていくのを見届ける。

「まったく……年上なら、あんま無茶しないでよ」

 聞こえないと分かりつつも、アルメリアは言わずにはいられなかった。
 何度呼びかけても通信に応じなかったので最悪の展開も考えていただけに、その声には安堵の感情が滲んでいた。

「さて……巻き返しと言いたいけど、手酷くやられすぎたわね……」

 彼女たちが出遅れている間に、ブロシア基地の被害は大きく拡大している。
 基地としての機能は著しく損なわれ、残存戦力も数少ない。今や残存戦力は後退を余儀なくされ、立て直しを図っている最中だった。

「発進に手間取りましたから……しかし、それを差し引いても敵の手並みがよかったという他ないでしょう」

 フェインナルド二号機に搭乗するエステルは周囲を観察し、アルメリアの言葉に同意を示すしかなかった。
 元々フェインナルドはコアを起動してから機体が動き出すまで、ルグリアの倍近い時間を要するという欠点がある。
 加えて、二機のあった格納庫は早々に攻撃され、機体に損傷こそ受けなかったものの人員用の扉が破壊されて、しばらく立ち往生する羽目になるなどの不運も重なった。
 その間にエリニュスは基地側の防衛網を着々と突破し、その度に格納施設や通信施設を優先的に攻撃していた。
 それでも弾薬庫や司令部が攻撃される前に捕捉できたのは不幸中の幸いといえる。
 二人はエリニュスに意識を向けた。

「三機でこれだけの戦闘力とは……侮れませんね」
「その通りよ。やつらはエスフィリスの特務部隊にして親衛隊のエリニュス。一年前に交戦した時とは機体が違うけど本当に厄介な相手よ」
「そのようですね……動きを見れば判ります」
「だったら話が早い。あいつらは特に連携で力を発揮してくる。こっちは分断して連携を崩して戦う!」

 双方が動き出したのは、申し合わせずに同時だった。
 二機のフェインナルドが加速しつつ前進するのに対し、エリニュス側はメガイラが単機で突撃してくる。
 彼我の距離が縮まってきたところで、後方の二機が発砲を始めた。
 射線はアルメリアとエステルを分け隔てようとするように描かれている。

「アル、その近接型を仕留めてください。それまで、あの二人は抑えてみせましょう」
「そんな無茶を言って……大体、言うほど楽な相手じゃないわよ」
「大丈夫ですよ、アルなら負けません。それにあっちも、どうも私狙いみたいですし」

 後方にいたアレクトが動き出す。横回りの機動はエステル側に向かっての動きだ。
 合わせてアルメリアの動きを抑えるようにメガイラも突っかかってくる。
 そして二人も敢えてエリニュスの意図に乗った。

「ったく……私が行くまで、持ちこたえなさいよ!」

 返事を待たずに、アルメリアもメガイラへと斬りかかる。
 フォースで構成された刀身とハイメタルの剣身がぶつかり合う。響く音は金属同士がぶつかりあう音とさして変わらない。
 最初の結果は均衡だった。互いの剣は中空でぶつかり合うと、そのまま競り合いに移行する。

「アルメリア・リーフェント! ここで一年前の雪辱を果たさせてもらいます!」
「こいつ……以前より腕を上げて!」

 コアの共振が望まないうちに競り合う二人に互いの声を届かせ、会話を成り立たせる
 そうして、より深く剣を押し込んできたのはメガイラだった。
 力負けをしているのを悟ったアルメリアは咄嗟に刃を右に流しつつ、左足でメガイラの脚部に蹴りを入れた反動で飛び退く。
 いくら機体が鋼の塊と言えど、当て所を間違えれば相手も同じ鋼の塊だ。逆に自機の足が損傷してしまうが、アルメリアはごく自然にそれを為していた。

「いける……このメガイラのパワーなら負けない!」

 剣を体の後ろに構えたメガイラが踏み込んでくる。
 力を込めた横薙ぎに対し、アルメリアは咄嗟に剣を合わせずに体を反らしながら後退して避けた。
 その反応は直感でしかない。直感でしかなかったが、剣を合わせたら負けるという強い予感がある。
 それを証明するかのように、メガイラの長剣に変化が起こっていた。
 無機の鈍い色だったはずの剣が、いつの間にか光に覆われている。フォースだとアルメリアは即座に気づく。

「ハイメタルの上に纏わせてるのか……そんな物まで用意してくれちゃって」

 踏み込んでくるメガイラをいなしつつ、アルメリアも反撃に出る。
 斬撃を避けると、すかさず逆に斬りつけるがメガイラもうまく剣を合わせて防ぐ。
 それでも何度目かの攻防の末に、一撃を先に与えたのはアルメリアだった。
 しかしメガイラの分厚い装甲に阻まれて、致命傷にはほど遠い。

「以前はフェインナルドの機体性能に後れを取りましたが、今なら!」
「は! 負けたのを機体のせいにでもしてるつもり? 笑わせないで!」

 強がって見せたものの、アルメリアも予想はしていたが、すぐに倒すどころの話ではない。
 相手の動きからメガイラが重機動型と判断していた。
 決して小回りの利く相手ではないようだが加速性能は高い。詰まるところ、踏み込みがそれだけ速い。
 さらに小回りが利かないと言っても、フェインナルドの機動力で翻弄できるほど鈍い相手ではない。
 少なくともエレンがそれを許すほど甘い技量をしていないのは確実。
 加えて堅牢な装甲に守られているため、一撃で仕留めるのは無理な相談だった。
 手間取っていられる場合ではない、という焦りをアルメリアは強める。
 それでも現実の相手は、容易な敵ではなかった。













 エステルはアルメリアが交戦に入ったのを感じつつ、目前の敵に集中する。
 使用可能な武装はフォースブレードが一つ、フォースライフルが二丁。一つは左手で把持し、もう一つは背中側の腰に接続されている。
 アレクトとの距離を詰めつつ、左手に持たせたライフルで後方に位置するティシポネに向け牽制射撃を放つ。
 命中を期してではなく、あくまで狙撃を妨害するのが狙いだった。
 移動しなければ直撃するコースに乗せているので、ティシポネは回避機動に入らざるを得ない。
 射撃の間に右手に持たせたフォースブレードを実体化させる。
 アレクトも同じように剣を構えていた。フォース構成型なのも一緒だ。

「あなた、異界人でしょう?」

 接近中のアレクトから通信が入ってくるが、エステルは無視を決め込む。
 そのまま互いの剣が打ち合い弾き合う。
 即座にエステルは離脱をかけるが、その際にアレクトをティシポネの射線に対する壁となるよう動く。

「単刀直入に言うけど、ランブレイなんて斜陽国家は見切って、我がエスフィリスに与する気はない?」

 フィアの言葉を再度無視する。アレクトは左腕のシールドを前に突き出す格好で前進。それに合わせてエステルはライフルを二連射。
 二発とも命中するが構えたシールドの上からだったので、損傷には結びつかない。
 踏み込んできたアレクトが剣を下から振り上げてくる。
 二号機はさらに機体を後退させかわそうとするが、剣の先端がライフルの銃身を切り裂いていた。
 エステルはライフルを手放すと、右手のブレードをアレクトのシールドに叩きつけるよう振り下ろす。
 剣身が盾の斜め半分を切り裂き、切った反動でアレクトを押し戻す。

「分かってるわよ、あなたが狙撃されないように私を盾にしながら回避してるのも。そういう目敏い人間を無闇に失ってしまうのは大きな損だと思わないかしら?」
「……交戦中に引き抜きなんて随分と余裕がお有りですね?」
「我が国とこの国の差、そのままの反映よ」

 左右から繰り出された剣を二号機も剣で捌いていく。互いに隙は見受けられない。
 フィアはなおも言い募る。

「少し考えてもらえないかしら。私たちはこうしてランブレイの領内に侵入して基地に攻勢をかけるだけの力がある……でも、逆はどうかしら? 国境線を維持するだけで精一杯でとても真似はできないわね」
「だから勝敗が決する前に、そちらに移ったほうがいいと?」
「ええ。それにあなたがランブレイにいるのは状況のせいじゃないかしら。負けゆく国に義理立ても肩入れもする理由があって?」

 両者は一度距離を取り、睨み合いのような形へと移行する。
 フィアからすれば思考をまとめるための時間を与えたつもりでもある。
 そしてエステルから逆に質問が向けられた。

「エスフィリスは……いえ、貴女個人の意見でも構いません。レイドゥンを駆り立ててまで戦うのをどう捉えています?」
「必然よ。時代がそれを求めている以上、必然であるだけ」
「なるほど……」

 エステルはコクピットの中で軽く首を横に振る。
 元々、結論は出ていた。ただ確かめておきたかった……エステルからすれば、それだけでしかなかった。

「貴女の言うことにも一理はあるでしょう……少なくともランブレイに協力する義務ならないですし、この国が劣勢に追い込まれているのも事実」
「ならば、何が賢明かは……分かるわよね?」
「ええ。でも――冗談も大概にしたほうがいいと、そうも思いません?」

 エステルの言葉を受けて、フィアの片眉がつり上がる。そのまま彼女はエステルに気取られないよう、サラに合図を送っていた。

「……それは申し出を蹴るという解釈でいいのかしら?」
「ええ、その通りです。私、ランブレイという国が気に入っていますので、そういう話は他でも当たってくださいな」
「もっと物分かりがいいかと思ったけど……ランブレイの人間のような愚か者だったということかしら」
「そうかもしれませんね。いえ、きっとそうなんでしょう」

 エステルはフィアの言葉に反発するどころか、正面から肯定する。

「ランブレイの人たちはレイドゥン狩りに反発していて……それなのにこの機体のようにレイドゥンのコアを採用している機体を所有し使っています。これは間違いなく矛盾でしょう。ですが自ら進んで搾取する国と、矛盾を知りながらも必死に改善を願う国―――私の天秤はこちらに片寄りますね」

 エステルは迷いなく断じる。綺麗事を貫くほうが、世の中はよほど困難だった。

「もしもその人たちを愚かと言うなら……謹んで私も愚か者でいましょう」
「世迷い言を……残念だわ。せっかく、こうやって持ちかけたのに」
「気にすることはありませんよ」
「そうね……気にすることはないわね。敵前交渉なんて成功するほうが稀でしょうし」

 言うなり、アレクトが突然横に動いた。
 そのアレクトの後方ではティシポネがすでに発砲している。
 アレクトは盾として利用された状態を生かして、逆に狙撃を隠すための壁ともなっていた。
 エステルも反射的にフェインナルドを横に跳ばすが、それが終わる前に左肩に光弾が着弾した。
 肩の上部を吹き飛ばされた二号機は、腕こそついたままだったが抉られたように装甲がひしゃげていた。

「交渉が決裂した以上はお別れかしらね。フェインナルドの異界人」

 刹那、アレクトが猛然と斬り込んできた。
 二号機は右へステップを踏んで避けるなり返す形で切り返す。振った切っ先が、アレクトの装甲を掠めて流れる。
 追撃はかけずに、エステルはすぐに離脱機動に入っていた。
 すでにティシポネからも狙われているので、常に動き続けなければならない状態だ。
 下手に攻撃すれば、その硬直時にさえ撃たれかねない。
 動きの流れを止めずに、機体各部の反応を素早く確かめる。

「左腕以外は問題ないけど……あまりいい状況でもないか……」

 左腕部は肘から指先までなら動くが反応が鈍い。肩が動かない以上は可動部も極端に狭く、実質的には使い物にならないと見なすしかなかった。

「せめて片方……」

 アレクトとティシポネ。どちらか一方だけが相手ならまだ結果は分からない。
 せめて相打ちには持ち込めると踏んでいるが、二機で迫られている以上はそれも無理な相談となっている。
 エステルは素早くアルメリアの様子も窺うが、あちらもメガイラとの戦闘に没頭していて援護どころの話ではない。
 改めて彼女は相手にする二機に目を集中し直した時、異変に気づいた。
 ティシポネが何故か後ろへと向きを変える。長銃の弾倉を排出した後、そのまま構えた。
 何故、という疑念を追求している時間はない。アレクトの攻撃にも対応しなくてはならないからだ。
 主体は左側ながらも、右、あるいは正面。動作も切りや突きであったりと的を絞らせない不規則な攻撃を、エステルも巧みにかわし時に剣で弾く。
 その最中、ティシポネが発砲した。方角は後方に向けて。
 アレクトを押し返した弾みに、エステルはそちらのほうを注視する。
 そしてティシポネの後方に何か黒く動く物を見つける。遠すぎて姿がはっきりと分からないが、数は三。
 機影だとすぐに気づくが、遠すぎて正体までは分からない。正体は分からないがエリニュスに取っても味方ではない。
 そこまで考えたエステルは三機の正体に思い至る。

「エリスと三崎兄妹たち……こんな時に戻ってきてしまうなんて!」

 即座に三人の実力を計算する。
 三崎兄妹に関しては初心者もいいところだった。戦場での経験などというのは当然ない。
 むしろ初めての実戦だと思い出し、エステルは奥歯を噛みしめ苦悶の表情を浮かべる。
 エリニュスを初陣の相手とするには危険すぎる相手だった。
 三人の中で一番技量も経験もあるのはエリスだったが、彼女もフォースメイルでの戦闘となると経験は少ないと言わざるを得ない。
 戦場にいた経験自体はそれなりにあるらしいので、ある程度は状況にも対応はできるのだろうけども。

「初心者が揃いも揃って三人……どう転ぶ?」

 いずれにせよ状況はすでに動いていた。ティシポネは三機のほうに完全に注意を向けていた。
 つまりエステルはアレクトのみに集中できる。

(――流れが変わった!)

 防戦から攻撃へ。
 今まで受けに回っていたエステルは、自ら攻め込む。
 二号機の足が地を蹴り、二歩目からは大気を蹴る。加速する機体が矢のように、アレクトへと襲いかかる。













 光った。というのが最初の印象だ。遠くからライトを一瞬つけたような光り方だった。
 続いてきたのは高速で飛来する光。
 それがライフルから放たれた光弾と同じだと気づいたのは、大きな横揺れに見舞われすぐ横の大地が抉られたように土砂を巻き上げた後だった。

「何!? 攻撃されてるの!?」

 僕が狙われた、と思った途端に冷静でいられなくなった。
 どうする?
 このままじゃだめだ。
 どうする?
 何かしないと。また光った。
 どうする!
 とにかく左手を曲げて前に突き出す。盾で身を守らないと。
 今度は理夢のルグリアの前方で土砂が舞い上がった。

「ひゃ!?」
「理夢!」

 舞い上がった土砂を前にして理夢機の足がたたらを踏んで止まる。

「足を止めないで! 走ってれば簡単には当たらない!」

 エリスさんが鋭く警告する。それを受けて、理夢のルグリアが前へ動き出そうとする。
 足を踏み込んでいる最中だった。敵機からの狙撃が理夢機の右足の付け根に命中したのは。
 それは脚部を吹き飛ばすのに十分なだけの威力を発揮して……理夢の機体が上半身から後ろに倒れ込む。
 残った右足だけがそのまま倒れずに立っていたけど、理夢機の倒れた時に生じた腹に響く衝撃を受けて前に倒れる。
 それはごく短い時間……に違いない。
 けれど、僕の目には一コマ一コマ引き延ばされたカメラのフィルムを見ているような感覚だった。
 理夢が撃たれた。大丈夫なのか?
 それに次、次は僕の番か。狙われるのが僕。こんな棺桶の中で僕は――。

「う、あああああっ!」

 ルグリアが走っている。撃たれる前から全速で走っていたから、もう一向に速くならない。
 変わらない速度がもどかしい。右手がライフルを掴むと理夢を撃った敵機に狙いを合わせる。
 走ってるせいか、照準の中心が安定しないで揺れ続けている。
 それに、まだ敵は遠い。でも敵の弾はもう僕たちに届く。それならもう撃つしかない。

「当たれ! 当たれえっ!」

 狙撃してきてるやつに向けて引き金を何度も何度も引く。発射間隔よりも早く明らかに無駄と判るほど。
 引き金が引かれる度に無機質な音が響く。
 発射された時だけ、ちゃんとした手応えが返ってくる。
 そうやって放たれた弾のことごとくが敵に命中しなかった。
 ほとんどが流れ弾で……そもそもが届いていない。光弾が途中で消失してしまう。
 有効射程まで遠すぎて目標に届く前に減退していってる、のか?
 何度目かの弾が発射された後に、いくら引き金を引いても弾が出てこなくなった。
 引き金の無機の音が何度も鳴る。空っぽの音が鳴り響く。
 急に冷めた頭が、弾切れだと理解した。
 直後、体全体が揺さぶられて、視界の大部分がいきなり黒くなった。
 激しい揺れに締め付けるシートベルトに体が悲鳴を上げる。
 自分の体がどこを向いているのか分からなくなったところで、揺れが収まった。
 ここで初めてモニターが消えているのを理解する。計器類や操作盤は生きていて、淡い光りを発していた。
 撃たれたのか……? それさえも判らない。

「外はどうなってるんだ……予備のモニターとかは……」

 予備なんてなかったはずだ。
 震動が操縦席に響く。まだ戦闘は続いてるけど、外がどうなってるかはこれじゃまるで判らない。
 理夢が撃たれて僕もやられたなら、今はエリスさん一人しか残ってないことになる。
 外に出ようと意を決するまで、そんなに時間はかからなかった。
 外に出るのも怖かったけど、こんな狭くて暗い場所に押し込められたままのがよっぽど窮屈で怖いと思えたからだ。
 操作盤を動かす。ハッチの開放を行うと、ちゃんと指示通りにハッチが開いた。
 ハッチは上を向いていた……ということは、今は仰向けになってるらしい。
 もう一度震動が来る。それが収まってからシートベルトを外して、身を恐る恐る上へと乗り出す。
 戦闘はまだ続いていた。ざっと見たところ三箇所に分かれて戦っているけど、その全てをゆっくり見ている場合じゃない。
 一番近いのは僕らを狙撃してきた敵とエリスさんだ。
 エリスさんのルグリアは左右に揺さぶりをかけながら、敵との距離を詰めようとしていた。
 敵のほうはライフルこそ構えているけど、なかなか発砲する気配がない。

「……あっちも弾切れを起こしたのか?」

 ついさっき弾切れを起こしたからこその発想だった。
 あり得ない話ではないと思う。思うけど、そうだという証拠はどこにもない。
 エリスさんも警戒してるからか、距離を詰めるのに時間がかかっている。
 それよりもさらに離れた場所ではまだ理夢のルグリアが倒れたままだ。中から理夢が出てくる様子も、出てきた形跡もない。
 なんとも言えない、嫌な予感がした。
 もう一度だけ辺りの様子を窺ってから、ルグリアから降りる決心をした。













 訓練から戻ってきて、そのまま救援に駆けつけてきたであろうルグリアが三機近づいてきているのは気づいていた。
 その三機の内の一機が狙撃されたのをアルメリアは見た。
 続けてすぐに突撃に移ったもう一機も、時を置かずに頭を撃ち抜かれて沈黙した。
 三人の中の誰と誰が撃たれたのか、アルメリアに知る由はない。
 しかし内心には悔恨の念が沸き上がっていた。そして悔恨はすぐに怒りへと転化する。
 怒りはエリニュスと己のに双方向へと向けられていた。敵意と不甲斐なさという名の怒りとして。

「あんたら、よくも!」

 目前の敵、メガイラに向けて垂直下に光刃を振り下ろす。
 メガイラも得物で剣を受け止めるが、それまでと違い競り合いが拮抗状態に持ち込まれる。
 押し込む力が明らかに強くなっていた。

「これは……どんな手を使った!」
「実力よ!」

 さらに押し込まれると感じたエレンは咄嗟にメガイラを後ろへ飛び退かせる。
 メガイラは長剣を後ろ腰に構えて、アルメリアの出方を窺う。
 アルメリアはそれを見据え、剣を握り直させる。
 先程までより集中している。体の内からは力が漲っているのに、頭の奥底はどこか他人のように冷たい目で自分や周囲を見ている。
 技量の上達には日々の修練しかないとアルメリアは信じている。そこに彼女は一切の疑いを挟まない。
 ならばこそ、変化は精神的な部分。今までが本気でなかったわけでも油断していたわけでもない。
 しかし、確かに何かが変質していた。
 その理由、アルメリア自身は察している。察しているが認めたくはなかった。

「は……守れなくて情けないったらありゃしない!」

 戦場に身を置く以上、死は免れられない。身近でなくとも疎遠でいられないのは確かである。
 だとしても、アルメリアはそれを可能な限りは遠ざけたかった。自分の身近な者からは、約束を交わした人間からは。
 それは誓いであり、呪いでもあった。今はまだどちらにもなりきれないままの、鎖。

「収束して、斬り捨てる!」

 アルメリアの髪が重力に逆らい波打ち始める。その体には淡く蒼の光が取り巻いていた。
 同時にフェインナルドを取り巻くフォースの流れを一点へと収束し始める。
 向かうのは両手で担うフォースブレード。その剣身。
 規定量以上のフォースが注ぎ込まれ、剣身が膨張し柄には不釣り合いな厚みと長さへと変わる。
 本来なら考慮されてない使い方で、単にフォースを注ぎ込むだけなら過剰供給で剣身を安定させることはできない。
 しかしアルメリアはそれを為す。彼女はフォースの流れを人よりも深い部分で理解している。
 感覚的ではあるが、何をどうすればいいというのを当然のように解していた。
 適正というのは簡単だが、常人の適正よりも遙かに高い。一つの才能と呼べるまでに昇華された能力だった。

「あまり……情けをかけてもらえるとは思わないことね」

 フェインナルドが姿勢を低く、潜り込むようにしてメガイラへ踏み込む。
 下からすくい上げるような振り上げ。対して、メガイラも踏み込んでの突き込みで応じてくる。
 接触の直前、フェインナルドは進行の軌道を一歩分だけ外に逸らす。
 右足での踏み込みから膨張した光刃を振り上げた時には、メガイラに背中を見せるように半身となっている。
 その動作だけでアルメリアはメガイラの突き込みを避け、逆に振り上げた刃がメガイラの肩口を切り裂いていた。
 しかし浅い。並みの相手ならその一撃ですでに終わっているが、メガイラの装甲に加えて土壇場でエレンもメガイラを外に逃がしていた。
 位置が入れ替わった二機はほぼ同時に、身を後ろへ捻りつつ互いの長剣を叩きつけるように振るう。そうして剣同士がぶつかり、相手を求めて押し合う。
 違ったのはフェインナルドが両手持ちであったのに対し、メガイラは右手一本で剣を振り回したこと。
 両手持ちのほうが当然加えられる力は大きくなる。それなのにメガイラは片手だった。

「押し返して、メガイラ!」

 不利な状況からメガイラがいくらかフェインナルドの剣を押し返すが、途中で抑え込まれ完全にはね除けるまではいかない。
 しかしメガイラが次の動きを起こすだけの空間は生まれる。押し返した分だけ、メガイラは体をフェインナルドに近づける。
 そのままの流れで左腕を横回しにフェインナルドの肩に突き込もうとする。
 横回しの打撃では力が伝わらずにろくな打撃にはならない――しかしエレンの狙いは打撃ではない。左手に残されたニードルボルト。
 これを機に主導権を握り直す。そう確信していたエレンは、しかし手応えを得られなかった。
 競り合いの抵抗が突然消える。咄嗟のことに剣がそのまま外に流れ、メガイラの体も外に流れる。
 流されながら、フェインナルドが剣を引いて一歩を離れているのをエレンは見た。踏み止まった時には遅い。
 フェインナルドの光刃がメガイラの左肩に叩き込まれる。左肩の装甲がひしゃげて陥没し、衝撃が行き場を求めて亀裂を次々に生み出していく。
 一呼吸の後には、左肩は潰れて胴体から落ちていた。
 その惨状は斬ったでなく、叩き壊されたと呼ぶに相応しい光景であった。
 エレンは無意識の内にメガイラに距離を取らせていた。
 アルメリアはそれを無理に追わず、逆に悠然と歩を進める。
 それは両者の立場を明確に表わしていた。
 苦い表情のエレンにフィアからの通信が届いたのは、その時だった。













 エステルのフェインナルド二号機とフィアのアレクト、緑と濃紫の二つの色が熾烈な攻防を繰り広げていた。
 二機の足捌きは素早くあり、どこか優雅ですらあった。
 踊っている、などと形容すれば耳障りはよいが、そこで繰り広げられているのは舞踊ではなく純然たる斬り合いであった。
 互いに相手の隙を突こうと途切れなく立ち回り、常に相手の先を読みつつ死角を追い求めている。
 一進一退のような攻防も、徐々にエステルが押していく。
 左手を封じられた状態にありながら、二号機の剣はアレクトの動きを正確に追っていた。
 アレクトの守りも堅いため、一撃は致命傷に程遠い。
 ならばとエステルは手数で攻め立てる。一撃で仕留められないなら、より多くの攻撃を重ねればいい。

「このまま押し切らせてもらいましょうか」
「っ……! 私が押されている!?」

 フィアは胸中に苦い思いが広がる。
 フェインナルドを扱える以上、ただ者ではないのは事前に予測できていた。
 だとしても相手は左腕を失っている。有利な状況にありながら、劣勢に追い込まれているのは他ならないフィア自身だった。
 二号機の突きだした刃が、アレクトの右肩の下を浅くだが貫く。
 逆にアレクトの攻撃はすんでのところで避けられる。状況は確実にエステルが盛り返していた。

「本当に手強い相手……」

 だからこそフィアは思う。惜しいと。
 これだけの人材、世界広しと言えども易々と見つけることは敵わないだろうと。
 もしもエスフィリスのために働いてくれたら、どれほどの貢献を果たしてくれたのだろうかと考えずにはいられなかった。
 それでも障害は排除しなければならない。

「編成術、起動」

 センサー類の大半の機能をフィアは停止させる。次いで、それらに充てていた出力の大半を別の機構に注ぎ込む。
 胸の上部にある青の球体に光が灯り、さながら水晶のような輝きを放ち始める。
 フィア・ララウィア。その家系は皇帝お抱えの編成術師の家系に連なる。
 代々として名高い編成術師を多く輩出し、名を残さずともその多くの人間に編成術師としての高い適正を与えてきた血と家系。
 その血脈は確かにフィアの中に存在する。

「構成変換開始。効果範囲、正面限定」

 編成術の発動準備に移行する。
 優れた編成術師が優れた操縦者であるとは限らない。フィアが特に秀でているのは、その二つを両立させているが故である。
 アレクト胸部の球体。それは編成術の起動と行使を補助するための機構である。
 人間対人間の規模ではなく、対フォースメイルに通用する効果を発揮するための。
 フィアは二号機を正面に見据えたまま、後ろへ飛び退く。
 その間にも感覚は局地的に、世界そのものへ接続する。
 フィアの思考はぶれない。かすかに別の自分が、アレクトに座る自分を別の場所から見ているような、奇妙な感覚こそ味わえど。
 二号機がアレクトを追ってくる。
 迅速ではあるが、先程よりもいくらか速度が落ちているようにフィアには見えた。
 損耗のためではなく、フィアの行動を警戒しているがためと彼女は判断する。
 間違いではない。しかし、足りない。

「万物の動きを止めよ。その無垢なる時の中で!」

 変質を望み、変容を促す。言葉が世界を揺らし、意志が現実を書き換える。
 あり得ぬ事象。起こるはずのない今を引き起こすために。

「凍てつけ。白銀なる静謐!」

 瞬間、世界が変化する。気づかないでもおかしくないほど短い間、時間が止まったような奇妙な硬直が発生した。
 もちろん時間停止など起きていないのだが、渦中の二人は奇しくも同じ感覚を得る。
 そうして、やはり一瞬にも満たない時間、世界が彩りを失う。
 アレクトを中心に白と黒だけの世界に変わり、そして再び彩りを得る。
 そのわずかな変化に、二号機は反応した。
 攻撃の可能性の一切を放棄し、さらに側面を完全に無防備に晒す。
 それほどの危険を代価にしてもなお足りないとばかりに、二号機は側面への急起動をかける。狙いは急速離脱。
 目前の敵に無防備を晒すより高い危険を感じ取り、そうして全てを賭けて危険を回避しようとする意志と判断。

「いいわ、あなた。本当にいい」

 敵への賞賛は、己が負けるはずのないという自負から生まれていた。
 果たして二号機は離脱に成功する。アレクトの左側、一歩二歩では詰められない位置まで下がっていた。
 しかし無事とは呼べない状態だった。
 二号機の左腕が肘を中心に凍りついている。加えてアレクトの正面からある距離までも凍っていた。
 大地が凍てつき、空気すらが白く輝いて見えるほどに。
 それは切り取られたように、定められた位置だけに起きた現象。

「でも、勝負ありかしら?」

 難を逃れたはずの二号機の腕から薄い物が張りつくような音が響く。左腕の凍結が侵食を始めた音だ。
 肘の凍結は広がり、瞬く間に指先までが完全に凍りつく。
 侵食は肩まで伸び、そこからさらに全体に広がっていく――広がるはずだった。

「どうでしょうか――」

 フィアはエステルの声を聞く。そこには怯えもなければ、焦りの色もない。
 二号機が右腕を掲げる。掲げるなりフォースブレードを振り下ろす。自らの左肩へと。
 凍結が止まらないと判断するなり、まだ凍結しきってない部分から左腕を切り落とす。
 弾みに二号機のバランスが崩れ、前のめりによろめく。
 そのまま体勢を整えるように、上半身を起こしながらの動きで踏み止まる。

「止めも刺さないで勝敗を決めようというのは」

 踏み止まった足で踏み込み、二号機がアレクトに再び接近する。
 アレクトも動く。左手の指先を折りたたみ掌を前に向けた構えで左腕を二号機に向けて振るう。
 編成術、白銀なる静謐をさらに引き延ばす。余波を広げるだけなら、発動よりは消耗しない。
 術の範囲が広がりきるのは、腕の動作よりも遅い。
 効果範囲が二号機に及ぶ前に、二号機の光刃がアレクトを捉える。
 振るわれた左の指を斬り捨てながら、首元を斬りつけた。
 手応えはあるが浅い。一番深い部分でせいぜいが首の太さの半分ほどしか断てていなかった。
 しかし、アレクトの編成術には影響が起きる。
 本来なら二号機全体を包み直すはずだった効果範囲は、フィアの集中が乱れたことで左足を足下から凍りつかせただけに終わった。
 アレクトが再び跳ぶ。死角となる二号機の左側へと。
 左足を封じた以上、二号機はもう進めない。故に剣が届かない位置にいる今、勝利は決している。後は凍結しようがしなかろうがライフルを使って確実に倒す。
 フィアがそう考えている間に、二号機は剣を取り落としていた。
 不審を感じつつも、フィアはライフルを引き抜こうとする。その思考はそろそろ作戦を切り上げ時だと判断しつつ、残弾の計算に入っていた。
 剣を取り落とした二号機の右手が上に動く。

(何をしている?)

 フィアにふと湧いた疑念。今や完全に凍結した左足が邪魔で二号機は振り向けさえしない。だというのに、この上でまだ何かをしようというのか、と。
 二号機の右腕が風を切る音を立てて振り下ろされたのは、その瞬間。
 響いたのは破砕の音。砕けたのは二号機の左足で、砕いたのは振り下ろされた右腕。
 凍りついた左足は綺麗に砕け、その破片が舞い上がる。朝の光を浴びた破片が、微細にきらめいた。
 左足も失った二号機が背中から倒れゆく中、体がアレクトへと振り向いていく。
 左足を砕いたばかりの右腕はそのまま腰元に伸び、ライフルを引き抜いていた。
 フィアはアレクトにライフルを引き抜かせずに、咄嗟に腕を交差させて腹部を守る。そこにあるのがコックピットだからだ。
 射撃。二号機が地面に倒れるまでに発射できたのは三発。その場からは剣が届かずとも至近距離であるのは変わりなく、三発ともがアレクトに命中する。
 初弾は額に命中し、頭部のアンテナを含めて顔面を半壊させる。
 次弾は胸部の球体。衝撃で球体に細かな罅が走る。
 最後は右手首。右掌を完全に吹き飛ばしていた。
 意図的に散らしての射撃だ。相手の攻撃手段を潰すための分散である。
 フィアは機体の被害状況を確認して、今度こそ愕然とした。
 頭部の損壊はモニターの右半分を完全に潰し、左側も外の光景こそ映していたが影がかかったように明度が大きく落ちている。
 両腕はそれぞれ指が使い物にならない。左指は編成術発動直後の反撃で斬られ、右指はライフルによって吹き飛ばされたばかり。
 両の指が使えないということはすなわち武器を持てないのと等しい。
 他にも小規模から中規模の損傷を至る所で確認できる。
 機体に甚大な被害を受けたフィアは、ここに至って一つの決断を下した。
 通信は辛うじてまだ生きている。妹たちに集合を命じた。これ以上の継戦は不可能と見なし戦場から後退するために。













 それぞれの敵の動向を警戒したまま、エリニュスの三姉妹は合流を果たす。
 そこでフィアは改めて継戦が困難なのを思い知らされた。
 エレンのメガイラは左腕を肩の根本から失っており、現在は右腕一本で長剣を担っている。
 サラのティシポネは表面上の損傷こそ少ないが、アインツェイルの狙撃によって望遠センサーを損傷させられている。
 望遠センサーがやられたということは、狙撃の精度が大きく落ちているということでもあった。
 対するランブレイで健在なのは、アルメリアのフェインナルドと量産機のルグリアが一機。
 機数では有利だが、手負いの三機と健在の二機ではどちらが本当に優勢なのか。
 特にフェインナルドに損傷が見当たらないのは、エリニュスにとって不利な要素だった。

「サラ、ライフルの残弾は?」
「もう三発だけ。三発あれば、あっちのルグリアだけは落とせると思うけど……」

 その後が続かない、とサラが言いたいことをフィアは察する。
 せめて、その三発でフェインナルドを落とせるならともかくとして、現状ではその可能性は著しく低い。
 また弾を撃ちきってしまえば、領内に撤収する間にも支障があるかもしれない。

「こうなったらティシポネの奥の手も使っちゃう?」
「やめなさいな、サラ。こちらの手の内をこれ以上見せる必要はありません」
「では……?」
「撤収します。作戦目的は果たしたといえますし、今はまだ陛下から頂いた大切な機体を失うわけにはいきません」

 撤収を終えるまでが作戦だった。行って帰ってこれないような片道作戦を行うほど、エスフィリスは追い込まれてなどいない。

「以降の戦闘は追撃を振り切れない場合のみ行います……その他の戦闘は一切が無用と心得なさい」
「了解です」
「了解だよ」

 語尾こそ違えど、二人の妹の声には悔しさが滲んでるようにもフィアには思えた。
 フィア自身が悔しく思っているせいもあるのかもしれない。
 後退してゆくエリニュスの三機をランブレイも追えなかった。
 余力がないのは、お互い様といった状態である。

「あと少しだったのに……」

 サラの小さな呟きがコアの共振に乗ってフィアの耳に聞こえてきた。
 無理をすべき局面だったか、とフィアは自問する。すぐにその局面ではないと思い直した。
 彼女一人の命ならまだしも妹たちの命も左右する場面だ。
 まだ三人の命を賭ける戦局でもない。戦略的により重要な戦いも、この後にいくつも発生してくる見込みがある。
 フィアは仮に戦場で逝くならば、もっと重要な局面に臨んでからだと思っている節があった。
 まだ早い。アルメリアたちとの決着を着ける機会もいずれやってくる。
 ならば、今は撤退を成功させることだけに戦すべきだと、フィアは胸の内で思い直した。













 二号機のモニターは後退してゆくエリニュスの三機を横に映し出している。
 エステルはそれをシートの手すりに腰かけて見ていた。
 地面に倒れたままの二号機なので、普通にシートに収まっていたら仰向けの体勢になり続けてしまう。
 だから彼女は手すりに今は腰かけていた。

「見逃してもらえた、でしょうか……」

 独り呟く。痛み分けといえば言い様だが、実際にどちらがより痛い目を見たのかは考えるまでもない。
 状況は悲惨というしかなく、いきなり苦境に立たされたものだと思う。
 もっともエステル自身はそこに緊張もしていなければ焦りや恐れなども感じていない。
 一番危険な局面はすでに通り過ぎたのを、どこかで理解しているからだ。
 だから彼女は先を考える。これからどうするか。何をするのがいいのかを。
 差し当たっては敵について考える。
 エリニュスの指揮官機。機体の名称も搭乗者の名前も知らないが、厄介な敵であるのは身をもって実感していた。

「油断があった……かしら」

 振り返り、素直にエステルはそう思う。
 一方的に持ちかけられた話が終わった後の狙撃。あれに対処できなかったのは、油断だったと今や見なしている。
 会話に気を取られすぎて、蹴った場合の行動を予期しきっていなかったためだ。
 あの狙撃を防いで両腕さえ使えればとも考えたが、そこから先はすぐに打ち消した。
 どのみち編成術を使用された段階で、両腕も片腕も関係ない。

「編成術……か。魔法もいいところ……」

 この世界の知識としては持っていたが、本物を見たのは初めてだった。
 彼女は編成術について、なんら理解していない。
 理解はしてないが、目の前で変わった何かに、これから起こる何かに強烈な危険を感じた。
 過敏に感じ取ったのは、死の気配。死の匂い。死の足音。
 とても名状できない、感覚的でしかないのに、信用のできる感覚。
 そんなのが備わっているのは、対抗手段(カウンター)として精巧でなくとも必要とされたのだろうと予測する。
 予測して、今となっては関係のない内容として頭の片隅に切って捨てた。
 エステルは浅く体を抱くように右手を左肩に回す。
 恐怖はない。それは確かだ。死に伴う感覚は未だにない。以前に置き忘れてしまったらしかった。

「再戦はあるかな……あの指揮官機」

 もしも、このままランブレイに留まって戦う道を選ぶなら、指揮官機には限らずエリニュスと相対する機会もいつかあるだろうとは思う。
 それ以上に問題があるとすれば、彼女自身やランブレイの事情だ。
 果たして、虎の子とでもいうべきフェインナルド二号機を早々に大破させてしまった自分にもう一度機体を任せるだろうかと。
 判断は判らないので保留するとしても、エステルとしては引く気はなかった。
 今回の戦闘でエリニュスの存在はアルメリア一人では手が余る相手だと実感したからだ。
 だから戦おうとエステルは改めて思う。指揮官機に借りを返すでもなく、そうするのがランブレイの地に立つ自分の理由だと決めて。
 改めて、これからどうしようと思う。
 エステルは閉じたままのハッチを見て、思案する。
 故障でもしたらしいハッチは内側からは開かない。
 外から開けてもらうのを待つしかなく、エステルは気づかないうちにため息をついていた。













 理夢のルグリアに向かって歩いていると、途中でハッチが開いて中から理夢が降りてきた。
 まだ遠目だけど目に見える外傷はないみたいだ。打ち身ぐらいはあるのかもしれないけど、降りて歩いてくる様子を見る限りはそれも大丈夫そうだ。
 途中で止まらずにそのまま理夢のほうに歩いていって、理夢も僕に向かって歩いてくる。
 合流した時には、三機の敵は後退していってる最中だった。まずは終わったんだと思う。
 興奮は冷めているけど、ゆっくりと考える気分にはまだなれなかった。
 少しだけ遠くから心持ち声を張り上げて理夢に話しかける。

「どこにも怪我はない?」
「うん、たぶん大丈夫だよ」

 理夢はそのまま近づいてきて、近くに来てから後ろを振り返った。
 さっきまで理夢が乗っていたルグリアは仰向けに倒れていて、右足だけが体とは違う向きに倒れている。
 右足の付け根は金属が捲れ上がっていて、心から痛々しいと思えた。

「自分で言うのもなんだけど……すごいね」
「そうだね……すごいね」

 他に言葉がなかった。僕のルグリアも頭が吹き飛ばされているから、見たら多分同じような感想しか出てこないと思う。
 現実離れしているせいかもしれない……今ではこれが現実なのに。

「どうするのかな、このルグリアとか……」
「修理するんじゃないかな……直せないなら部品に分解するとか。そのまま破棄するようなことはないと思うよ」

 実際のところは知らないけど、それが妥当なところだろう。
 それより、今は自分たちの身だ。

「基地に帰ったほうがいいかな」
「そうだね……もしかして歩くの?」
「他にどうやって戻るんだよ」

 今の場所からだと歩くと地味に遠い位置だけど、今更言っても始まらない。
 理夢も無事だったことだし、まずは戻ろう。その後のことは、それから考えよう。
 今はどうせ何も考えられそうにない。

「っと、あれ?」

 歩き出そうとして変な声がしたので振り返ってみると、理夢が何故か座り込んでいた。

「どうしたの?」
「分かんない……急に立ってられなくなっちゃって」

 当の理夢も呆然とした顔をしている。
 腰が抜けた……というやつだろうか、これは?

「手、貸そうか?」

 今となっては少し気恥ずかしい台詞を口にする。
 けれど、理夢はそれに答えずに座り込んだまま後ろを見直した。視線の先にあるのは理夢の乗っていた、ルグリア。
 こっちに向き直った時の理夢は、やっぱり呆然としたような顔つきをしている。
 次の言葉も、震えて掠れていた。

「兄さん……もしかして、あと少し違う場所に当たってたら……私って……」

 それ以上の言葉はなかった。
 言葉の代わりに目尻から涙が流れていく。理夢は静かに泣き出した。
 それがしゃくり上げて大きな嗚咽になるまで大して時間はかからなくって……僕もまた、理夢と同じ現実に気づかされて。
 理夢を慰めようにも、やっぱりそれもどこか的外れになって。
 僕たちは、何かに踏み込んでしまった。命を晒すのがどういうことなのか、それを体で感じてしまって。
 戦争を、始めてしまったんだ。
 本当に僕たちは、これでいいのか?















〜 06 傷だらけの初陣 〜







2008年8月12日 掲載。