息を深く吸い込んで吐き出す。気持ちを少しでも静めるために。
 両手の平には冷たい金属の感触。両肩と腰はベルトでシートに押さえつけられている。
 姿勢は座席に座って心持ち体を前へ乗り出している感覚だ。
 見えるのはコクピットの内装。
 前にアルメリアさんの機体に乗った時と同じような構造で、左右に球形のグリップレバーと右側にはパネルがある。
 パネルは通信の操作やらハッチの開閉とか、要は細かい操作のためにある。
 正面と左右に見えているのは、フォースメイルを通した外の風景。周囲は何も障害物のない平原だ。
 加えて正面の上方には別のディスプレイも取りつけられている。
 センサーのモニターで、今は右後方に輝点が一つ映っているだけだ。
 もっとも精度はあまり高くないらしく、これだけを頼っての行動は無理だと教えられている。

「……よし」

 動きを意識し念じる。前へと。グリップを握る指にも自然と力が入る。
 自分の体そのものが、この鉄の塊だと努めて意識する。同じ体なら、自由に動かせるはずなんだから。
 この何日かの訓練で解ったのは、フォースメイルは基本的に操縦者の意思で動かすものだということ。
 操作系統に感応金属が用いられていて、それが各所へ動きを伝達してくれる。その結果、操縦者の思ったように動いてくれる。理屈の上では。
 思ったように動かせるなら簡単……そう思っていたのは初めだけだった。
 集中してないと、すぐに中途半端な動きになってしまう。
 フォースメイルの操縦にも相性や適正があるみたいで、個人によって得意不得意がやっぱりあるらしい。それは伝達の不具合や反応のずれとなって動きに表われてくる。
 横を別のフォースメイルが走り抜けていく。
 ルグリア。ランブレイの量産型フォースメイルで、僕が今乗っているのと同型の機体。
 緑の塗装を施されていて、首元や手首のような人間でいう関節部分は黒色。
 外観の大まかなイメージは甲冑で、曲面よりも直線主体のフォルム。
 初めてここに来た時に見た、エスフィリスのフォースメイルとどこか似ているけど、あれと比べるとほっそりとしている印象だ。
 隣のルグリアは急加速からの踏み込み、次いで制動をかけてから後ろへ飛び退くという一連の動作を行う。
 あっちのルグリアに乗っているのは理夢だ。
 ……正直なところ、理夢のほうが僕よりも上達が早い。

「負けてられないよな……!」

 やっぱり妹に負けてるっていうのは、あまり面白くない。
 そこはほら。ささやかな意地っていうか、兄としての面子というか。色々あるもんだ。
 ともあれ、僕、三崎尚也はこの日も同じように基礎訓練を繰り返していた。
 戦争という実感は得られないまま、実感のないままの戦争に向けて。
















04 鳴らされた戦鐘
















 正午を回った頃から空には雲が広がり始めていた。厚く広がる雲は白い。どうやら雨雲ではないみたいだ。
 今は昼食を済ませて、理夢と一緒に施設の外に向かっているところだった。
 僕らがいるのは、ランブレイ王都西方にあるブロシア基地と呼ばれる軍事拠点。ブロシア平野にあるから、ブロシア基地。
 王都との距離はこちらの言葉で、四百四十イダ。イダは距離の単位で、一イダは僕らの使っていた一キロメートルのだいたい半分ぐらいの距離を指している。
 だから二百二十キロほど離れてると思えばいい。
 歩くとかなりの距離だけど、フォースメイルなら割合すぐに踏破できる距離だ。

「そういえば兄さんはフォースメイルの操縦に慣れてきた?」
「そう思いたいけどね……そっちこそ大分上達してるでしょ」
「まあね。意外と私って才能あるのかもよ?」

 理夢はどこか嬉しそうに話しかけてきた。もしかしたら……舞い上がってるのか?
 こっちとしては動かすので手一杯というか、まだあまり余裕がない。
 理夢がうまく動かせるのは喜ばしくはあるんだろうけど、どこか素直に喜べないのも確かだった。
 だから、ついつい適当な相づちを打つだけに済ませて、そのまま話が深くならないうちに切り上げる。
 午前中の訓練を終えると、昼休みを挟んで午後からはフォースメイルの基礎的な講義を習う。
 フォースメイルの講義とは言うけど、実際にはこの世界の歴史や社会に触れる場合も多い。
 何故なら僕らがこの世界の背景を知らないからだ。背景が分からないと、説明や成り立ちに筋が通らない場合も少なくない。
 だから、回り道や関係ないような話になることがあっても、それはちゃんと繋がっている話だ。そうでないと理解もままならない。

「……どれぐらい時間が経ってるのかな?」

 理夢がそんなことを呟く。さっきとは違って、静かな口調。
 さっきまで浮かれていたと思っていただけに意外だった。
 ちなみに、この日は七月二日。僕らのいた世界よりも暦は一月ほど早く進んでいる。
 一年は三百六十日で十二ヶ月が存在しているとの話。そして一ヶ月は三十日で固定されていて一週間は十日になる。
 七曜の概念はなく、何週目の何日目という呼び方をしていた。今日だと一の二日目か。

「ここに来てから?」
「それもだけど、元の世界じゃどのくらい時間が経ってるのかなって……お母さんもお父さんもやっぱり心配してるよね……」
「帰った頃には百年ぐらい経ってたりして。それか僕らが生まれるよりずっと前に遡ってたりしてさ」
「兄さん」
「冗談だよ。でも、そう思ってないとさ」

 きっと、この先もっと辛くなる。
 そう考えて、やっぱり言葉にならなかった。口にするのも怖い言葉ってやっぱりある。
 無言を理夢がどう受け止めたのかは分からないけど、それ以上は訊いてこようとしなかった。
 屋外に出る。足はそのまま基地の建物を左手側にして離れていく。
 程なくして目的の場所に着いた。芝生のように草の絨毯が敷かれた場所だ。
 どこから運んできたのか黒板が置かれていて、黒板に向かい合ってる人が一人。
 僕らから見れば背を向けているのはレーネさん。
 気配に気づいたみたいで、そのまま半身になって振り返ってくる。

「来たわね。すぐに授業を始めるから、もう少しだけ待ってちょうだい」

 この世界に来て授業という単語を聞く機会があるとは思わなかった。
 科目は強いて言うなら、総合学習とかそんな感じになるんだろう。
 大体はこの世界に関する基礎知識……習慣やら文化、それに歴史とか。この世界での常識だ。
 ちなみに講義は今まで、ずっとレーネさんがやってきている。
 医者なのにどうして、とは初めての時から思った疑問。
 当人が言うには、僕ら異界人の世話を全面的に任されているため。さらに人手不足だから、とのこと。
 それとは別に、どうにもレーネさん自体は教えるのを楽しんでるように見える時がある。
 それはそれで別にいいのかもしれない。
 ちなみに屋外で講義――どこか青空教室っぽいのは、雰囲気を重視してらしい。
 この理由、正直に何かずれてるような気がしないでもないけど、そこに突っ込む気にはなれなかった。

「さて。今日はおさらいも兼ねて、フォースメイルについての話でもしてみましょう」

 レーネさんはそう切り出す。
 自分で乗るようになったのもあって、ある程度はフォースメイルについて知識として定着しつつあった。

「まずフォースメイルの概要を挙げてもらおうかしら」

 僕と理夢はフォースメイルの概要を交互に言っていく。
 人型の兵器で、知る限りでは甲冑のような鎧を連想させるような外観をしている。
 全長は十メートル弱と言ったところだと思う。コックピットは下腹部にあって、正面から乗り込むという流れ。
 操縦系統は感応金属が用いられていて、操縦者の意思に応じて自在に動かせる……反面、操縦できる人間を制限しているのもこのためだ。
 動力はフォースと呼ばれる粒子で、この世界では大気中に高濃度で存在しているらしい。
 目に見えなければ、無味無臭。人体に直接及ぼす影響もほとんどないか……それとも影響してるのかさえ分からないのが現状。
 空気のように存在するのが当たり前で、だからこそ逆に詳しくが分かりきっていないままで。
 そして、そのフォースを取り込んでフォースメイルを起動させるのがコア。レイドゥンの心臓でもあり、この兵器のエンジンにも当たる核だった。
 僕らの言った内容にレーネさんは頷き、そして話を深い場所へと持っていく。

「フォースメイルがレイドゥンの心臓部をコアとして稼働しているのは、フォースを最も効率よく利用できるのはレイドゥン・コアであるため。複製のコアが発展したといっても、この優位性は数年数十年単位では覆らないと言われてるわ」

 裏を返せば、フォースメイルを使う限りはレイドゥンが狩られる対象であるのに変わりないということだ。
 いつか見たアンリという少女の顔が脳裏に過ぎる。
 狩られるという言葉は生々しすぎて、かといって他にどんな言い様があるのかまるで思い浮かばなかった。

「なお複製のコアは純正のコアに比べてフォースの変換効率が絶対的に劣ってはいるけど、もちろん利点もあります。人工物なので純正のコアと比較して数を揃えるのは容易ですし、純正の機体と比べて操縦適正を持つ人間も多くいます。その分、コア自体の性能が低くなるので、性能の限界値も相応になってしまうけど」

 レイドゥン・コアとコピー・コア。純正と複製。
 前者はアルメリアさんのフェインナルドに、僕らの使用しているルグリアには複製のコアが用いられている。
 二機の性能差は数字や人づてに聞いた話からでなら理解しているつもりだ。
 ルグリアがフェインナルドに対して性能面で勝っている部分があるとすれば、機体の剛性……耐久性ぐらいしかないはず。
 フェインナルドとルグリア。ランブレイにある二種類のフォースメイルの間には確かに大きな隔たりがあった。

「もっとも、量産型のフォースメイルが純正の機体を倒せないわけでもないから、そこは忘れないで。昔の話になるけど、アルメリアは通常のルグリアでガイナベルクの純正フォースメイルを何度も撃破してるわよ」
「他の人でもやれるようなことなんですか。それ?」
「できるわ。かくいう私だって一度だけ撃墜したことあるもの」

 意外な返答に少しだけ固まった。思考が追いついた時には、理夢がレーネさんに尋ねていた。

「レーネさんもフォースメイルに乗るんですか?」
「今はもう乗ってないけど解放戦争の頃はね。乗ってたといっても、ほとんどが後方支援で最前線にも出てない。けど、一度だけ敵機に至近距離まで迫られてね」

 そこから先は、口元は笑顔のまま首を左右に振る。語る気はないという意思表示らしい。
 なんにしても、純正のコアを用いた機体のほうが性能面で優位なのは確かだと、そんな風に内心で結論づけた。
 すぐにレーネさんは話を再開した。

「ところで、突然だけど質問。どうしてフォースメイルは人型をしているのか分かる?」

 本当に突然の質問だった。
 こうかもしれない、ああかもしれない。そういう可能性は出てくる。けれど、これだと自信を持てる正解には思い至らない。

「人型のほうが都合のいい理由があるから、ですか?」

 理夢の疑問じみた答えにレーネさんは頷く。

「さっきも言ったけど、元はレイドゥンの模倣だったから人の形から始まったのよ。加えて操縦方法も人型である理由を後押ししてるわ。同じ人型なら感覚的にもどこをどう動かせばいいのか想像しやすいでしょう?」

 冷たい金属の肌触りと、機体を自分と同一視しようとしていたのを思い返す。

「過去にはもっと獣に近いフォースメイルも模索されたみたいだけど……操者への負担ばかりが大きくなって、思ったような機体は作れなかったと聞いてるわ」
「だから……同じ人型?」
「そう。あなたたちには、ああいうの馴染みないのよね?」
「馴染みないどころか、見たことさえないですからね」

 それも今後はきっと見慣れていってしまうのだと思う。
 身近に置くのだから、そうなっていくものだ。

「それにしてもフォースメイルの操縦って、かなり便利ではありますよね。適正はあるにしても、思ったように動かせるなんて」
「元は編成術用の機構だもの。人の意思に強く反応するのは当然よ」
「あの、編成術ってなんです?」
「この世界の理に介入して強制的に、起こりえない事象を引き起こす術式ね。自然発火を想像するといいけど、感覚的な部分で共感するのは難しいかも」
「はあ、そういうものですか……」

 つまり魔法か。今となっては大した驚きはなく、この世界なら十分にあり得るだろうというのが率直な感想だ。
 ……この世界に染まってきた証拠なのかも。

「まあ……フォースメイルを操縦できるからって、必ずしも編成術が扱えるわけじゃないけど」
「じゃあ僕たちに編成術は使えない……と考えたほうが?」
「そうは言わないけど、決して楽な道じゃないわよ?」
「そうですか……」

 編成術みたいなのが使えたら、それはそれで面白そうな気はした。
 けれど、やっぱり僕らに編成術は使えないほうがいいのかもしれない。
 編成術が使えるということは……裏を返せば、それだけ長くこの世界にいてしまったということにもなり得るんだから。
 理夢が口にした不安を思い出し、それはそのまま僕の不安でもある。
 元の世界に戻れるなら……やっぱり早く戻りたい。口にこそ出せないけど、偽りのない気持ちを今更ながらに実感した。















 ブロシア基地の格納庫内部。その一角ではフォースメイルが左膝を突いた体勢で停止している。
 鎧騎士を彷彿とさせる外観をしている機体は青い両肩を除いて、全身が白に染め上げられている。
 フェインナルドと呼ばれるフォースメイルは現在、十人近い人間たちに取り囲まれるようにして全身を徹底的に検査されていた。
 コクピットに潜り込んでいる者もいれば、波形ばかりが表示されて素人目には用途が判別しない機器を操ってる者もいる。
 検査に携わっているのは、いずれも機体の整備か兵器開発に携わる人間たちだ。
 そしてフェインナルドの操縦者である、アルメリア・リーフェントはやや離れた場所からその光景を眺めていた。

「お疲れ様です、お姉様」

 そんなアルメリアに後ろから声が投げかけられる。
 聞き慣れた声と独自の呼び方に、アルメリアは表情を崩して振り返る。

「こっちは試運転みたいなもんだから全然疲れてないわよ。それより、そっちこそ三崎兄妹の訓練を担当するって本当?」
「ええ。なんか、そんなことになっちゃってました」

 どこか気楽に答えたのは、栗毛のまだ少女と呼んでも差し支えのない幼さを残した顔つきの少女。
 際立った美人ではないが、愛嬌のある笑顔をよく周囲に振りまいていた。
 名をエリス・レネス。アルメリアとの関係は義理の妹になる。

「三日後に夜間訓練も兼ねて遠出をしてこいって。少しでも多く変わった経験を積めって意向らしいですけど」
「いいんじゃないの? 経験は積める内に積んでしまえって言うし、エリスは将来有望だから期待されてるんでしょ」
「あはは、姉様にそう言われると光栄です」

 本心からの笑顔で言いつつ、エリスもフェインナルドに視線を向ける。

「いつもより整備の人とか多くないですか?」
「……そうなのよね。ただの点検にしては随分と入念にチェックしてるし」
「あー、ひょっとしてあれじゃないですか? 新型機の噂。フェインナルドのコアを移植してでも早期投入する案も検討されてるらしいですよ」

 耳が早いのか、単なる噂好きなのか。いずれにせよエリスはアルメリアよりもずっと軍の内部事情に精通している。

「移植ねえ……長いこと乗ってるから結構愛着あるんだけどなあ。でも、仮にフェインナルドのコアが新型に移植されたとして……私が乗るの?」
「他に誰がいるんですか。それにこの国には姉様以上の操縦者はいないんですから、新型を回すのは当然の判断ですよ」
「新型って言っても、性能が向上してるとは限らないでしょ。それに、どうせまた目立つような色になるんでしょ?」
「同期から聞いた話だと、最近の艤装で真っ白に塗ったらしいですよ」
「……まあ、構わないけどね」

 フェインナルドのカラーリングが迷彩という配慮を無視されているのは、アルメリアの趣味ではない。
 役割による理由からであって、アルメリアはそれをよく理解している。
 ランブレイ解放戦争でガイナベルク相手に多大な戦果を残した彼女は勇名を国内外に響かせていた。
 ごく自然と彼女は国内では英雄視され、他国からは畏怖と警戒の二つを抱かれる結果になる。
 そうした背景があるが故に、フェインナルドは象徴として目立つような塗装を施されている。
 戦場では味方を鼓舞する要因となっているが、逆に敵からは格好の目標となることも意味していた。
 もっとも、アルメリアはそれでも構わないとも考えている。
 自分が狙われるなら、自然と周囲への危険を減らすことにも繋がるために。

「ところで姉様。三崎兄妹はどんな人たちなんですか?」
「んー、会ったことないだろうけど見ての通り、って感じかしら。二人とも地味っていうか素朴っていうか」
「ああ、華がないってやつですね?」
「あんた、さらりと毒を吐くはね……まあ、目立つタイプじゃないのは間違いないけど。でもどっちも悪い子じゃないし、争い事が似合ってる感じじゃないわね。正直言って」
「それなのに、よく戦う気になりましたよね。戦争と縁のないような世界から召還されたって聞いてたんですけど」
「だからこそ、かもしれないわね。何か思うところがあったのか、それともエステルに何か教えられたのか」

 実際のところはレイドゥンを知ったのだろうと、アルメリアは分かっている。それを承知でディックに会わせたのだから。
 それは効果的な手段ではあったが、決して褒められるようなやり方でもアルメリアの好みでもない。
 では、そのやり方をさせたのは何か……と考えて、アルメリアはエステルの取った行動を非難する気にはなれなかった。

「大方、あの人にでもそそのかされたんじゃないですか?」
「そんな言い方はないでしょう」

 鋭い口調で咎められてエリスは一瞬言葉を詰まらせた。
 しかし、エリスはすぐに言い返す。どこか拗ねたように。

「……姉様はあの人の肩を持ちすぎじゃないですか?」

 エリスは目敏く周囲を確認。渦中の人物が近くにいないのを用心深く確かめてから。

「私……あの人はあまり好きになれません。この前の作戦会議の時だって、三崎兄妹は戦わせたくないって言ってたくせに自分からけしかけてたなんて……矛盾してます。支離滅裂です」
「本当に彼女がけしかけたかなんて分からないわよ。それにエステルはむしろいい類の人間よ」
「……そうでしょうか」

 明らかに不満と分かる口調だったが、アルメリアにはその理由が分からない。
 エリスという義妹が時として視野狭窄に陥りやすかったり、変に後ろ向きになりがちなのは知っている。
 それが理由だろうか、と思いながらも何かが違うような気がした。そもそも何が違うのかもよく分からないままに。

「……それでも、あの人は矛盾してます。三崎兄妹は戦わせたくないって言うのに、自分は進んで戦いたがるなんて」
「矛盾とは言うけれどね。それを言いだしたら異界人を保護するって謳っておきながら、彼らを戦わせようとする私たちはどうなるの? 矛盾を通り越して詐欺……犯罪じゃない」
「それは……」

 エリスは言葉を無くして口を噤んだ。その裏には理想だけでは変えられない現実が横たわっている。
 訪れた沈黙は独特の重苦しさを伴っていた。その沈黙を拒むようにアルメリアから口を開く。

「まあ……話が前後しちゃうけど、エステルをどうしても好きになれないなら無理に好きになれとは言わない。でも、エリスは自分で視野を狭めてない?」
「そんなつもりはないですけど……」
「偉そうなこと言ってるけど、私だって嫌いな人間ぐらいいるわよ? けど、なんかそういうのはもったいないと思うのよ。多くの相手と関わって初めて見えてくることって、あるでしょ?」

 アルメリアの問いかけに、エリスは答えない。アルメリアはそれとなくエリスの横顔を見る。
 エリスはかすかに俯き気味に、そして視線は遠くを見ていた。考え込んでいるのだろうと、アルメリアは判断を下し、そして溜まった息を吐き出すように言う。

「なんか柄にもないこと言っちゃったわね。でも、一人で考え込んでるだけでも答えが狭くなっちゃうんじゃないかしら? あー、けど、そう考えるとエリスもちゃんと相談しようとしてるんだよね、うん」

 本人は至って真面目に、そしてどこか一方的にアルメリアは話を進めて、一人で納得する。
 エリスはその間に一言も挟まず、しかし話にちゃんと耳を傾けていた。

「だったら要は私だけじゃなくて、もっと周囲にこういう話をできるようになればいいんじゃないかしら?」

 あくまで明るく、アルメリアは自分の意見を述べていた。
 エリスは心なし眼を細めながら、しっかりと頷く。
 その様は何か眩しいものを見ているかのようでもあった。















 世界は大きく分けて二つの顔を持つ。
 昼と夜。太陽が昇っているか、沈んでいるのか。二つの最たる違いは野外の明るさにあると言っても過言ではないだろう。
 夜の光は少ない。人為的な光を除くと光源は天上の月や星々しかなく、必然的に見通しも悪くなる。
 そしてテラスマントという世界では人為的な光はまだ多くない。そのほとんどが人の生活圏内、つまりは都市部に集中している。
 故に森林などにかかる光は自然のものしかなく、そうなると森の脇などは木々の作り出す影と相まって、ますます暗さを深めていた。
 ランブレイ領にあるとある森の影を渡るように移動する三つの影があった。
 森の木々より背丈は低いが、人と比べれば遙かに高い。
 フォースメイルだ。三機は縦隊を組んでいる。
 隠そうにも隠しきれない駆動音を立てながらも、人目を憚るように暗がりを進む。
 その挙動は滑らかであり無駄がない。搭乗者がいずれも手練れであるのを窺わせる。
 三機はできる限り静かに、それでいてできる限りの速さで目的地への距離を詰めている最中だった。
 三機の外観はあまり似ていないが、外的には二つの特徴が一致している。
 一つは機体色が紫がかった黒で染められている点。二つに胸に国旗を象った紋章が刻まれている。
 紋章は赤地の中に白縁の黒十字――エスフィリス帝国の国旗だ。
 三機はランブレイ領内に秘密裏に侵入し、作戦行動の真っ最中だった。
 粛々とした進行を続けながら、三機の中で中央に位置する機体が頭部を左右に巡らす。周囲に不審な物がないのを改めて確認するためだ。
 中央の機体――メガイラと名付けられたそれは頭部こそエスフィリスの量産機、ルノーマと酷似している。
 しかし両肩には涙滴型の装甲板を取りつけてあり、左腕部に小型のシールド。腰部にはスカート型の装甲、脚部も一回り大きくなっていた。
 左右の掌の下部には手首に沿って長方形の射出口が備え付けられていて、背中には左肩から右腰に向かって長剣が備え付けられている。

「フィア姉様、少しよろしいですか?」

 メガイラが前後の僚機に向けて交信する。
 隠密行動中に迂闊と取れる行動だが、外部から交信を傍受されなければ現在地の暴露にも繋がらないのを理解しているが故の行動だった。
 フォースメイルの通信は専用の機器を用いる場合と、コアの共振を用いての二種類がある。
 通信機器は今や量産機にも標準装備されるようになり、広範囲に渡って鮮明な音域での交信を可能としていた。
 その代わりに発信すれば痕跡が残るので、遠方からでも設備さえあれば発信位置の特定が容易にできるという難もある。
 逆にコアの共振ならば、敵方に傍受される危険は著しく少ない――むしろ現在の技術では不可能とされる領域だ。
 こちらの難点はごく短距離への交信しかできなく、ノイズの発生する確率も高いなど信頼性に欠ける点である。

「本当に日中から強襲をかけるのですか?」

 つい先日十九歳を迎えたばかりのエレンは年以上の落ち着きをすでに見せ始めている。
 顔の造型は美人の部類に入るのだが、化粧気はなく装飾品の類も一切持ち合わせていない。そのため地味というよりは野暮ったいという言葉のほうが似合ってしまうのがエレンという女だ。
 唯一、洒落っ気があるとすれば伸ばした黒髪を束ねるヘアバンドだけだ。貰ってから日が浅いものの、エレンはそれを大切にしようと密かに誓っている。

「あれあれ、エレン姉様。もしかして怖いの?」

 先に返事を寄越してきたのは姉ではなく妹だった。エレンは小さくため息をついてから、妹に答え返す。

「ばかをおっしゃい。夜間の強襲のほうがより効果的ではないかという意見具申ですよ」

 本来ならただの確認であったが、エレンは妹の言葉に対抗するように少しの変化を加えていた。
 現状でランブレイは未だに彼女たちの存在に気づいていない。
 ならばもう一夜を過ごし日が沈むのを待って目的地に夜襲をかけた方が、奇襲としても効果が見込めるし敵の反撃も薄くなるという目論見があった。

「到着次第に攻撃をかけるわ」

 先頭を行く長女フィアは妹たちの会話には加わらず、方針のみを伝える。そして方針は当初の予定通りに変更なしだった。
 フィアはコックピット内で各種の計器を確認する。
 アレクトの名称を持つフィア機の本分は、指揮官機として戦場を管制統合することにある。
 シートの左右にパネルと一体化したサブモニターがあり、正面下部にも別の表示がなされるモニターが独自に備え付けられていた。
 アレクトは情報収集能力や管制能力に優れている分、多くの情報を一時に処理できなければならない。
 索敵、通信能力を上げるために頭部には二本のアンテナがあり、後頭部には排熱用のダクトが二つ。
 両腕にシールドを備え、胸部のやや上には青色の球体が埋め込まれている。

「でもエレンの懸念は当然ね。夜間ならまだしも日中での強襲はこちらに不要な被害を与える可能性を高めてしまう」
「ならば、どうして?」

 フィアはコクピット内で指を折って数える。妹たちに見えないと分かりつつも。
 エレンとは違い栗色の髪を首元の高さで切り揃えたフィアは極力視線をモニターから離さない。それが習慣づいているためだ。
 今年で二十七になる彼女だが、二十歳といっても通用するだけの若々しさを保っていた。
 切れ長の睫毛につり目の彼女は怜悧な印象を他人に与え、現にその性格は冷静沈着といえる。

「夜襲では正確な戦果を確認するのが困難なのがあるわね。見落としも確実に出てくるでしょうし、中途半端な攻撃になりかねない」
「なるほど」
「それに夜まで私たちが見つからずに潜伏できる保証もないわ。ここは敵領……警戒すべき点のほうがずっと多いし、ランブレイもいつまでも我々に気づかないほど愚かではないでしょう」

 そんな国が相手ならもうとっくの昔にこの土地はエスフィリス領になってるでしょうから。
 フィアは胸の内でそう思いつつ、口には出さなかった。

「ねえフィア姉様。だったら私からもしつもーん」
「あなたは何かしら、サラ?」

 三機の中で最後尾の機体がサラの声に合わせて右手を上げる。
 浮ついてると取れる動作に、密かに次女のエレンは眉を顰めているのだが、サラはそれを知っていても気にしないし、フィアも注意しようとはしなかった。
 ティシポネと名付けられたサラ機は頭部こそルノーマの物だが、右目の部分が望遠用の物に交換されている。それに合わせて左手には長銃を担いでいた。
 また両肩と両手の平には小振りで半透明の赤だが、アレクトと同様の球体が埋め込まれている。

「ブロシア基地なんて中間じゃなくって、私たちだけで王都に攻め込んじゃったほうが早くないかな? ランブレイで怖いのってアルメリアだけでしょ」

 大胆不敵な発言をサラはする。ただ、この発言は流石に現実離れしてたのでフィアも即座に言葉が出てこなかった。
 栗色の髪をツインテールにしたサラは目下のところ十五歳。エスフィリス全体で見ても最年少のフォースメイル操者だった。
 彼女は活発で好奇心が強いが、それ以上に幼さが未だに目立っていた。
 それもあってか、どこか戦いを楽しみすぎている節があり、それは時として無謀な意見や無茶な行動となって現れる。

「サラ。武器や弾の数より多い敵を倒すのは無理なのよ?」
「そうかなあ……エレン姉様ならその剣だけでも三十機はルグリアとか倒せそうなのに?」

 その点に関してはフィアも否定しない。それだけの実力をエレンは持っている。
 だとしても、わずか三機で敵国の王都を攻め落とすのは不可能だった。
 エスフィリスに一騎当千の精鋭である彼女たちがいるように、ランブレイにも同じようが精鋭はいる。

「どのみち、今回の目的は王都の陥落じゃないわ。それは時期が来ればいずれやってくること……だからサラ。今は目の前の任務だけに集中なさい」
「はーい、了解しました。フィア姉様」

 フィアはサラが意外に従順なのを熟知している。だからそれ以上は何も言わなかった。
 サラに言ったように、今は任務だけを考えればいいと自身にも言い聞かせる。

「フィオン陛下の期待に応えるためにも……我らエリニュスに決して失敗は許されない」

 全てはエスフィリスの、ひいてはフィオン皇帝のために。
 皇帝直属の特務部隊、エリニュス。それを構成するのはララウィア三姉妹。
 選りすぐりの部隊である彼女たちは、その鋭い矛先を研ぎ澄ませて、ブロシア基地への距離を詰めていく。
 接触予定の日は、七月五日。折しも三崎兄妹とエリスの合同訓練が実施される日であった。
















 レーダーなどのセンサーの類が発達してきているテラスマントだが、精度の意味ではまだまだ不安定である。
 それ故、見張りの多くはまだ目視に頼っている部分が強い。
 それはブロシア基地とて例外ではない。
 ブロシア基地の見張り員は盛大な欠伸をした。時間帯はちょうど昼下がり。
 麗らかな日差しに、量だけは一人前以上の昼食後ともなれば、昼寝の一つでもしたくなるのは生理的に無理からぬことだった。
 しかし、彼のそんなささやかな欲求は虚しくも打ち破られることになる。
 彼が太陽の方角を偶然向いた時だった。何か黒点のような物が見えたような気がした。
 普段なら見過ごしていたような点だが、ほとんど直感的に彼は引っかかりを感じる。
 右手で太陽を目隠ししながら、今度は注視し始めた。
 彼はすぐに黒点を捉える。初めはそれが何か分からなかった。
 だが、しばし注視していて、彼はその正体に気づいた。人影であると。
 ただの人影が見えるはずがない。同じ人影でありながら、それよりも遙かに巨大な存在。すなわちフォースメイルとなる。
 見張り員はすぐに未確認機接近の報を担当の上官に伝えた。
 しかし、ここで不幸な事態が発生する。
 報告を受けた上官は、それが訓練を終えて帰還してくる三崎兄妹たちだと考えてしまった。
 過去にも訓練中の部隊が帰投する時間と方角を誤ったために敵機と誤認され、緊急出撃が発令されてしまった事態がある。
 それ故、上官は真っ先にその可能性を疑った。何よりもブロシア基地は最前線ではない――敵が来るはずがないという思い込みもあった。
 事態に緊急性を感じなかったために、見張り員の報告は上に通されることなくここで終わってしまう。
 加えてフォースメイルはセンサーに捉えたとしても、敵味方の識別はなされない。そこまで発達していないために。
 こうしてエリニュスの三機を早期に発見しながらも、みすみす基地への接近を許す形となる。
 そうして――近づいてきた三機がランブレイ所属でないと判明した時には、もう手遅れだった。
 迎撃機が出撃するよりも先に、エリニュスの第一撃が加えられた。
 その攻撃は確実に何かを大きく変えた。撃った者も撃たれた者も、どちらも等しく。
 戦いが、始まる。















〜 04 鳴らされた戦鐘 〜






2008年7月5日 掲載。

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