03 知らない国の、知らない人々

















 城を後にした僕たちは、エステルさんに連れられて街に向かう。
 城はどうも坂の上に建っているようで、歩いていく道は下り坂だ。
 基本的には坂道で舗装はされていない。でも人の往来が多いのか、踏みならされた道だった。
 そのためか、どこが道なのか自然と見分けがつく。
 歩いていく内に前方に建物が少しずつ見えてきた。どうやら石造りらしい。

「あそこが王都ともいうべき街になりますね」
「へぇ……街の名前はなんて言うんです?」
「ランブレイ。この世界だと王都と国の名前はどこも同一になるんですよ」

 理夢とエステルさんがそんな話をしていた。
 こっちとは違う習慣……それとも風習とか文化とでも呼んだほうがいいのか。
 全部の国名を暗記してるわけじゃないけど、こっちだったら国名と首都は大抵が別の名前になる。
 日本だったら東京みたいに。稀に京都と言い張る人もいるって噂を聞いたこともあるけど、この場では何の意味も持たない内容だ。
 そうこうしている内に街の入り口に着いた。歩いていたのは十分ぐらいだったと思う。
 街並みはやっぱりどこか西洋的だった。西洋的といっても、あくまで自分のイメージでしかないので正確に当てはまりそうな国や様式までは分からない。
 建物は石造り。高さはまちまちで不揃いだ。石材を積み重ねて建てられた家やもしかしたら商店が立ち並んでいる。
 街中だと道も舗装されていた。道路の両脇には石が一段積まれていて、それが先へ先へと伸びている。
 こういう人の手の入った道のほうが僕は好きだ。小さい頃からずっと見慣れているからかもしれない。

「まずは一杯お茶でも飲みましょうか?」

 反対する理由もなかったので、言われるがままに案内される。
 街に入ると当然様々な人がいる。通行人だとか商店を営んでる人だとか。年齢層も性別もばらばら。
 共通してるのは活気があることだ。生き生きとしているというか、なんだろう。表情とかに力強さを感じる。
 戦争中ではあっても、それに負けない強さみたいなのがあるのかもしれない。
 不意にエステルさんは路地に入った。後をついていくと、別の道に出る。
 そのすぐ右側にオープンテラスのあるカフェがあった。
 ガラス張りらしいドアがあって、そのすぐ横には窓が二つあって店内が見える。窓はガラスじゃなくて、上に押し上げて開く木戸だ。
 店のすぐ入り口にメニューがイーゼルみたいな立てかけに置かれている。
 文字は……読める。ウィラトとかタタールとかカラカナとか。後は数字らしい丸っぽい記号がある。
 名詞はどういう意味かまでは分からない。ここがカフェなら、お茶の葉だろうとは思う。
 でも元から紅茶とコーヒーの味の違いはほとんど分かってないから、何を出されても似たような感想しか出てこない気はした。

「そこの席に座って待っててください」

 エステルさんはそう言うと店の中に入っていく。店の奥には初老の男の人がいた。たぶん、ここの店主だろう。
 指定されたのは手前側の席で椅子が四つある。僕は奥の席に座って、理夢には手前のほうに座らせる。その隣の席はエステルさんのために空けておいた。
 座って待っていると、すぐにエステルさんが戻ってくる。三人分のカップとティーポットを持って。

「一度ゆっくり話をしましょうか。状況をおさらいしたほうが知りたいこともはっきりしますよ」
「ここが異世界なのは……間違いなさそうですね」

 今まで見てきたものを考えると、もうそれは疑いようがない。
 仮に異世界じゃなくても、僕らの知っている場所じゃないのは確かだ。

「そういえば……二人はもう話とかしてたんですか? 僕が理夢と会った時、もうエステルさんは理夢の名前を知ってましたし」
「ええ、君たちが来る少し前に理夢は目を覚ましましたから。でも簡単な自己紹介と、ここのことを少し話しただけですよ」
「あ……でも、確かエステルさんが私を助けてくれたんですよね。ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして」

 助けたって……やっぱり僕と同じような状態だったのか?
 フォースメイルに乗っていたアルメリアさんが僕を見つけたように、エステルさんも?
 その辺りも聞いておこうとは思ったけど、それよりも先に理夢が話を進めていた。

「少し整理しておきたいんですけど……この国は……戦争をしてるんですよね。えっと……エス……なんだっけ?」
「エスフィリス。その隣国のエスフィリスと戦争してる」
「そうそう。でも、そことは別にガイナベルクって帝国が世界征服を狙ってる……このランブレイも帝国によって一時は滅亡の危機に瀕した」
「らしいね」

 でも今までの街並みを見てると、一度侵略された国のようにはあまり見えない。
 戦争って言うと、もっと傷跡が深いってイメージがある。昔見た焼け野原の写真のせいかもしれない。

「分からないんだけど……この世界の戦争はさっき言われたフォースメイルを使ってるって考えればいいの?」
「……そうなんですよね?」
「ええ」

 エステルさんに話を振ると、お茶ができたのか三人分のカップに注いでいる最中だった。
 お茶の色は深い茶だった。紅茶と思って大丈夫だろう。

「兵器とは人間の力では太刀打ちできないものを指しますからね……あなたたちの世界の兵器がどういったものかは分かりませんが、それに代わる存在と思っておけばいいでしょう」

 そう言ってからエステルさんは自分のカップに口をつけた。
 味に満足してるのか、穏やかな雰囲気を醸し出してるこの人は、もうこの世界にすっかり慣れてるのかもしれない。そんな風に思えた。
 理夢も注がれたお茶を一杯飲んでから続ける。
 口調こそ僕に向いているけど、話自体はエステルさんにも向けられていた。

「まだよく分からないんだけど……エスフィリスとそこまでして戦わないといけないのかな? ガイナベルクのほうがよっぽど危険に聞こえたんだけど」
「それは同感……でも、それができないから戦争なんかしてるのか……?」
「この国からすればレイドゥン狩りさえ辞めれば、エスフィリスと争う理由はありませんよ。ですが、エスフィリスはそう思ってないようです……エスフィリス皇帝フィオンも領土的野心が強いようですし」

 戦争をしてまで土地を奪いたい。という感覚は正直に理解できない。
 欲しければ努力して……時には誰かと競ってでもというのなら分かる。
 でも、それが戦争とかになると理解の範疇を超えてしまっていた。行き過ぎなんだ。
 僕が戦争に重たいイメージを持ちすぎているのか、それともこの世界の人たちが軽く見てるのか……。

「仮にランブレイに戦う気がなくても、向こうはその気なんですよ。それに戦いを仕掛けられたら自分たちの身は最低限でも守れなくてはいけないんです。そうでなくては交渉の席にも着く権利すら認められない。主張をするなら、それ相応の力も必要になってくるんです」

 言いたいことは分かる。言うだけだったら、確かに誰でもできる。
 でも、それを通せるかどうかは、また別の問題になってしまう……要はそういうことなんだと解釈した。

「でも二人が言ってるのは正しいことですよ。本当は手と手を取り合うのが一番の近道なんでしょうから」

 現実はそれを許してくれてないらしい。

「侵略戦争を仕掛けてくる隣国に、世界征服を企む帝国か……なんだかな」
「世界征服か……いざ考えてみると、ちょっと信じられないっていうか、いかにもって感じ」
「それは僕も思った。悪の組織じゃあるまいし」

 この場合は悪の帝国になるのか。どっちにしても、いかにも過ぎる理由だと思う。真っ先に定番だと思える程度には。
 そして、定番に従うなら世界征服の野望は英雄のような存在によって打ち砕かれるのが決まりだけど。

「そうでしょうか?」
「え?」
「世界征服の話です。確かに現実離れしていて、陳腐な理由ではありますけど……あなたたちの世界に武力だけで世界の全てを統一できた人物や組織、あるいは国は存在しましたか?」
「いえ……そんな人も国もなかったです」
「私の世界でもそうです。だからこそ実現すれば誰も成し遂げていない偉業、それとも空前の暴挙になるのか……どちらにしても、前人未踏の領域なのは確かです。ですから、方法を抜きにすればそれを目指そうという考えそのものは筋が通っていると思いますよ」
「なるほど……そう言われてみると」

 決して笑い飛ばせるような理由にはならない。
 この国が戦わなきゃいけないのは、そんな国なのか……。

「……話が変わっちゃうんですけど、私たちって言葉が同じなんですか?」

 理夢がエステルさんに向かって訊く。僕がアルメリアさんに感じた疑問と同じだ。
 だから僕のほうで答える。

「なんでも、この世界に召還された時に言葉が翻訳されるようになってるみたい。だから、本当はお互いに通じない言葉で喋ってるんだってさ」
「そうだったんだ……」
「一つ補足させていただくと、文字の読みは必ずしもこの限りではないようです」

 エステルさんは僕たちに一枚の紙を見せてくる。この店の伝票だ。

「お二人は何が書いてるのか分かりますか?」
「いえ……伝票っぽい気はしますけど」
「僕は読めますけど……そこのメニューも何となくですけど読めましたし」

 エステルさんは頷くと、スカートのポケットからペンを取り出す。
 そして伝票の裏に何かを書きつけた。

「じゃあ、これは読めるかしら?」
「いえ……」

 今度は読めなかった。そして理夢は今回も読めなかったみたいだ。
 エステルさんはペンと伝票を理夢に渡す。

「何か適当に言葉を書いてみてください」

 理夢はペンを口元の近くに当てて、考えるような素振りを見せる。
 それからすぐにさらさらと何かを書く。
 ――三崎理夢。薄幸の美少女。

「嘘を書くなよ、嘘を」
「む……」

 ――兄は三崎尚也。平凡。超平凡。

「っ……それは確かに真実だけどさ」
「しょうのない兄だこと」

 そんなことを言いながら、理夢はエステルさんに伝票を返す。
 エステルさんはそれを見てから、伝票をテーブルの上に置いた。

「この文字は私たちの言葉。簡単な挨拶ですけどあなたたちは読めなかった。私もあなたたちの言葉を読めませんでした……つまり、本当なら私たちはお互いの言葉は通じないという証明ですね。この世界の言葉に関してもそうですが、中には尚也君のようにこの世界の言葉なら分かる場合もあるようです。ちなみに私は読めなかったので、今も覚えている途中です」

 苦笑。でも、そんなエステルさんはどこか楽しそうにも見えた。
 覚えていくのが楽しいのか?

「むぅ……なんかずるいなぁ。兄さんには読めるのに私には読めないなんて。別に差なんてないと思うんだけど」
「あはは……なら人徳の差?」
「よく、そんなこと言えるわね。兄さんのくせに」
「まあ人徳かどうかはさて置きですね」

 さりげなく、あっさりと人徳の話を流された。
 エステルさんにまで否定されたような気がするのは気のせいか……気のせいだと思いたい。

「言葉に関してはそのような状態です。話すだけなら困りませんが、読み書きができないというのは案外と不便ですので」
「うう……でも人間は必要に迫られれば、普段より力を発揮できるって聞いたことがある気がしますし、頑張ります」
「ええ。ある程度なら私からも教えられますので、何か困った時は頼ってくれて構いませんよ」
「その時はよろしくお願いします」

 言葉に関する話はこのぐらいでいいだろう。
 他に聞いておきたい話は……戦いに関することだ。

「エステルさんもフォースメイルに乗って……戦ってるんですよね? でも、それはどうして?」
「……私なりにこの国の力になれないか考えた結果です。でも、強制されたとかではありませんね。それにああいう機動兵器を扱うのにも慣れていましたし」
「慣れていた?」
「元の世界では軍にいたんですよ。ですから、こういうのには慣れてるんです」

 こういうのっての言うのは……戦争に慣れている?
 それってつまり……。

「あの……」

 言葉が先に出てしまっていた。考えはまとまっていない。でも、何を言いたいのかは分かっている。
 だけど、それは直接訊くのも躊躇われる言葉。だから中途半端に止まってしまう。
 考えなしに出てきた言葉の続きは、言葉を向けた本人によって放たれた。

「昔から戦争をしてたんですか? それとも人を殺したことがあるか、ですか?」

 穏やかな顔と言葉とは逆に、質問は殺伐としていた。
 訊きたいのはそういうことだった。でも、そんなにストレートに言われると、逆に酷い話を聞いているのだとよく分かった。
 これは面と向かって聞くような話じゃない。

「……すいません」
「どうして謝るんですか? 気になるのは当然のことですよ」

 微笑で言われる。だけど、こっちは笑えない。
 その時になって初めて紅茶を飲んだ。喉が渇いていたのと、少しでも気分を落ち着かせたかったから。
 エステルさんは表情を変えることもなく話を進める。

「私の場合は君たちと同じか、もう少し小さい頃から軍に入ったので七八年は経ってると思います。一年の単位が同じとは限りませんけど」

 エステルさんはそこでため息らしいのをついた……ような気がした。

「それから戦って撃破した敵の数なら覚えていません」

 それは……どういう意味なんだ。
 覚えていたくないのか、覚えていても仕方がないとでも言うのか。
 それとも――覚えていられないほど?
 今度こそ、それを問いだたすだけの気力はなかった。安易に触れてしまっていい領域とはとても思えなかった。

「それを知りたいということは……フォースメイルに乗るべきか迷っていると考えてよろしいですか?」
「あ、いえ……そうと決めたわけじゃないし、できるなら乗りたくはないですし……でも、本当に乗らないでもいいのかって」

 自分でもよく分かってない。乗りたくはないし戦いたくもない。
 こんなよく分からない場所で命と命を賭けて戦えだなんて……理不尽ってやつじゃないか。

「……いっそ強制してくれたほうが気楽でしたよ。変なところだけ人道的で」
「それはあるかもしれませんね。でも強制されたほうがいいというのは……甘えた考え方ですよ。自分で物を考えられなくなったら、君の気持ちはどこに行っちゃうのでしょう?」

 今度は笑っていない。真顔で僕の目を見ていた。
 流されるな、そんな警告でもあるようだった。

「本音を言うなら、あなたたちには戦って欲しくない」

 エステルさんは僕と理夢を交互に見てから、そう告げた。

「私だけじゃない。アルもレーネも、シンシア女王でさえ本来ならあなたたちに戦いを求めるのは本意ではないでしょう。ただ、理想を裏切るほどに台所事情は悪いのですけれど」
「そんなに酷い状態なんですか?」

 理夢の疑問にエステルさんは頷く。

「今は国境線での小競り合いが続いている状態ですが……数の上での戦力差は三倍以上は開いてますね」
「……よく支えてますね」

 軍事とかそういうのは全然詳しくない。
 でも戦力差が三倍というのは単純に考えて、ランブレイのフォースメイルが百機だとすればエスフィリスは三百機になる。
 どっちが有利かなんて考えるまでもない。

「今のランブレイはここの操縦者たちによって、戦況を互角に持ち込んでいると言えるでしょう。この国の操縦者たちは全体的にエスフィリスと比較して練度や技量は上ですから」

 小競り合いでの削り合いが続けば、先に力尽きるのはランブレイですけどね。そうエステルさんは締めくくった。

「話は分かりましたけど……それと僕たちがフォースメイルに乗るのって結びつかないんじゃないですか? 僕らは別にあんな巨大なロボットなんか乗ったことないんですよ?」
「それは道理ですね。でも、多くの異界人はなんらかの形で戦いに大きな寄与できる存在……歴史的にそう捉えられてるようです。現に私もそうなのでしょう」

 だから、僕たちにも戦う力が……それとも才能があるというのか。
 だとしたらそんな才能、別に欲しくなんかない。

「あなたたちが未知数なのも確か……どちらにしても無理強いをされることはないでしょう。だから、私個人の気持ちは伝えましたけど、最後は自分たちで決めるしかないんです」

 自分で選択する。言い換えれば自由なのか。それを、いざ求められるとなんて責任の重たい話なんだ。
 しかも自分だけじゃなくて他人の命まで左右するだろう選択。
 ……この重圧が嫌だから強制して欲しかったのか、僕は?

「……いっそ投げ出して逃げ出したくもなりますね」
「それもいいのかもしれません。でもいいこと? 中途半端は駄目。逃げるならどこまでも逃げなさい」

 エステルさんは体を椅子の背もたれに乗せて、相変わらずの笑顔で言う。

「一度逃げたら、全てを省みないでただひたすらに逃避するんです。それができないなら、そもそも逃げるなんて不可能ですよ?」

 そう言われても……まだ実感も何もできなかったけれど。
 カフェでの話はこうして締めくくられた。僕たちが紅茶を飲み終えてから、エステルさんは立ち上がる。

「それでは最初の予定通りの場所に向かいましょうか」
「……確かディックって人の家ですか?」
「ええ。彼も異界人で、お二人にはちゃんと会わせておいたほうがいいと思ったので」
「他にも異界人がいたんだ……どういう人なんです?」
「会ったほうが早いですよ。では行きましょうか」

 カフェを後にして今一度エステルさんに先導されて歩き出す。
 まだ地理が分かってないから、どこに向かっているのかよく分からない。
 とりあえずは元来た道からまた遠ざかっているのだけは間違いなかった。
 歩いていくに連れて街並みも変わっていく。
 石造りなのは一緒だけど、建物の雰囲気が妙に真新しい感じがする。そして空き地が不規則に点在してた。

「この地区はガイナベルクから解放する際に一度は火を放たれたそうです。今ではある程度復興も進んでいるそうですが、この世相ではなかなか捗らないとも聞いています」

 だから、真新しい家々と中途半端な空き地なのか。
 焼けた跡……というのは自分には見つけられなかった。
 道中、露天でエステルさんはいくつかの種類の果物を買っていった。
 そしてもう一度歩く。やがてエステルさんは一軒の家の前で止まると、ドアを軽くノックした。
 やっぱり真新しい家だ。

「どちらさまで?」

 ドアの奥から男の声がくぐもって聞こえてきた。

「エステル・ナービーです、ディック。会わせたい人たちがいるので連れてきました」
「鍵は開いてるから遠慮せずに入ってきてくれ」

 エステルさんはドアを引いて開ける。
 入り口は暗い。照明とかはないみたい。右手側に棚が置かれていて、左側には花畑の絵が掛けられている。油絵かな?

「それでは失礼します」
「失礼します」

 エステルさんは家の中に土足で上がり込んでいた。
 身近な習慣ではなかったけど、それに倣って僕と理夢も上がり込む。
 家の奥の一室が明るくなっていた。エステルさんもそこに向かって歩いている。
 部屋に入ると、やっぱりその部屋は明るかった。その部屋には大きな窓があったからだ。そこから光を取り込んでいる。
 広さは普通……とりあえず狭いとは感じない。窓のすぐ近くに幅の広い机があって、その上には紙が何枚か置かれている。
 そして机と向かい合っている男の人。横姿を見せている男の人がいる。
 年齢は見た感じでは三十代ぐらいか、クリームがかった茶の髪は無造作に跳ねている。
 中肉中背で、紺のシャツとグレーのズボンを履いている。
 そのすぐ脇には棒……杖か。杖が置かれている。

「これ、アルからの差し入れです。置いておくので忘れないでくださいね」
「助かる。今度会った時に礼を言っておく。で、そこの二人は?」
「先日発見された異界人です」
「……ついにはこんな子どもか。まあいい」

 男の人は横目に僕らを見ていた。
 鋭い目つきだと思う。鼻はかぎ鼻というのか……曲がったように大きい。顔つきは尖っていると言うよりは、固そうな岩盤を連想させた。

「俺はディック・アーロンス。異界人で……よくいう技術屋だ」
「僕は三崎尚也で、こっちが妹の三崎理夢です」
「なるほど、兄妹か。ここに連れてきたということは……この二人は戦わせたくないということか?」
「いいえ。そうではなく、あなたのように矢面に立たない戦い方もあるのを知って欲しかっただけです」
「俺もまだ大したことはしちゃいないがな……」

 ディックさんはそう言うなり、杖を掴むと力を込めて立ち上がった。立つとだいぶ背が高い。
 それよりも、この人は足が不自由なのか。左足を引きずるように進む。

「何か要り用なら取りますよ」
「いや、大丈夫だ。それに少しは自分で動かないと体にかえって悪い」

 エステルさんの申し出を断って、机の反対側に向かう。棚から丸まった紙を取り出すとエステルさんに向けて差し出す。

「これを帰り際にマエルバに渡しておいてやってくれ。やっこさん、喜ぶぞ」
「新型の図面ですか?」
「その修正版だな。詳しい話はあっちで聞いてくれ。ひょっとしたら、お前に回される機体かもしれないからな」
「……わがままな子じゃなければいいですけど」
「今の機体だって十分わがままだろうに、よく言うもんだ」

 とりあえずは話しについていけない。話の中に通じる部分がまだないからだと思う。
 ディックさんは机に戻りながら、僕らに話しかけてくる。

「見ての通り、足がこうなってるからフォースメイルには乗っていない。その代わりに技術的貢献……要は裏方の仕事には参加してる」

 腰を下ろす。自然と不自由な左足を見ていた。
 その視線を受けて、ディックさんは苦笑いと共に言う。

「足はこの世界に召還される以前からこうだった……事故に遭ってな」

 あまり多くは語りたくない。そんな雰囲気だった。
 そして、そんな足をじろじろ見ていたのもばつが悪い。
 家のドアが開けられて大声が飛び込んできたのは、そんな時だった。

「お父さん、今日の材料買ってきたよー」
「おお、ありがとう。助かったよ」

 子どもの声。振り返ると二人組の子どもが入ってきていた。
 一人はベレー帽らしい帽子をすっぽり被った男の子。ジャケットを着ていて、両手で抱えるように茶の紙袋を持っている。
 袋の上からは名前の分からない野菜が飛び出していた。
 その子のすぐ後ろには女の子が立っている。
 黒い髪をストレートに肩口まで下ろした女の子で、黒い瞳がこっちを見ていた。ピンクのポロシャツを着ている。
 二人とも歳は十歳前後ぐらい……だと思う。

「えっと……この子たちは?」
「ユアンとアンリ。俺の子どもだ」
「子ども?」
「こんにちは、エステルさん。それから……初めましてですか?」

 男の子が笑いながら聞いてくる。
 無邪気というかさわやかというか、屈託のない笑顔って言えばいいのか。

「こんにちは、ユアン。この二人は尚也と理夢。お父さんと同じ異界人よ」
「へえ……初めまして、尚也さん」

 ユアンと呼ばれた男の子が自分から手を伸ばしてくる。
 握手か? その子どもらしくもないような行動にちょっと驚いて戸惑う。
 でも、子どもが自分から手を伸ばしてきてるのに、僕が何もしないで突っ立ってるわけにはいかない。
 手を延ばし始めた途端に、素早く言われた。

「触らないほうがいい」

 後ろの女の子だ。無愛想な警告と一緒に、ユアンの服を後ろから掴んで引き留めていた。
 その目は僕を見ている。いや、見てるなんて穏やかじゃない。睨んでいた。

「あんた……何?」

 率直な言葉が突きつけられる。

「え……何って?」

 女の子は疑問に答えず、けれど僕から離れようとする。さすがにどう対応していいのか分からなかった。
 ユアンもユアンで引き留められたのが気に入らないのか、頬を膨らませていた。

「アンリ、人の名前は呼び捨てにしちゃいけないだろ」
「だって……あいつ、なんか変。父さんともユアンとも、私とも違う」
「じゃあ新種なんだろ」

 言ってのけ、アンリの手から離れる。それでも今度は僕に近づこうとしない。

「父さんは話があるから、先に料理を始めてくれないか?」
「いいよ。お客さんたちの分は?」
「私たちは夕暮れまでには帰りますから、またの機会ということで」
「わっかりましたー!」

 威勢よくユアンは別の部屋に入っていく。たぶん台所があるんだろう。
 一方、アンリはユアンの後をついていきながらも、最後まで僕を警戒するように見続けていた。

「あまり気を悪くしないでくれ。人見知りで、変わった部分があるんだ」
「ああ……気にしてませんから」

 本当は気になったけど。今まで、あんなにはっきりと自分が変だと言われたことはなかった。

「兄さん、珍獣?」
「なんかものすごく嬉しくない響きなんだけど……」

 まったく訳の分からない話だ。この世界に来たこともそうだけど。
 そんなことを思っている内に理夢がディックさんに話を振っていた。

「あの二人……お子さんなんですよね。あまり似てない気がするんですけど」
「そらそうだ。戦災孤児ってやつだからな。まさか自分が引き取る日が来るとは夢にも思ってなかったが」

 さらりと言われた内容は、僕らにとっては表情を硬くするには十分な言葉だった。
 聞き慣れない言葉ではあるけど、意味は知っている。感じたのは……たぶん同情。

「……一つだけ言っておくが、あいつらは別に自分らを不幸だとは思っちゃいない。だから、そんなに硬く捉えてやるな」

 それは……そうなのかもしれない。理屈では分かったけど、きっと感情ではどこかで引っかかってしまう。そういうことなんだろう。

「俺のほうからも知りたいんだが、二人はまさかフォースメイルに乗るつもりなのか?」

 ディックさんは僕と理夢、それからエステルさんを順に見ていった。
 エステルさんは何も答えないで、僕たちに視線を向ける。その目は自分で言うように促しているような気がした。

「正直に……迷ってます。不安なのもありますし、僕らがフォースメイルに乗ったところで何かができるかも怪しいですし、それに……」

 その先を思いついたのは、つい今になってだ。
 些細な懸念というか疑問というか……もしかしたらの話だ。でも、一度思いついてしまうと、決してあり得ない話ではない気がした。

「ランブレイは本当のことを言ってるんですか? 本当に僕たちは偶然召還されたんですか?」
「つまり……ランブレイ王家が全てを仕組んでいて、みんなでお前たちを欺いて戦わせようとしてる、か?」
「そこまではっきりしてませんけど……でも、僕たちはランブレイを拠り所にしないといけないじゃないですか。もしそこに偽りがあったら……」
「なるほどな。その言い分ももっともだ」

 ディックさんは頷き、両腕を組んだ。

「確かにそういう見方もできるんだが、俺はこの国は信用できると思ってる。だから協力する気にもなったし、これからもそうしていくんだろう。これは俺の見方であって、君の疑問に答えるものじゃないな、少年」
「はあ……」
「少年少女。君らはこの世界についてどれだけのことを知っているんだ?」

 そう訊かれても、まだ僕たちはほとんど何も知らない。
 そして数少ない知っていることは、この国の人たちに教えられたことばかりだ。

「まだ大して知らないはずだ。だからこそ本当にランブレイの言い分を信じていいのかも分からない……そんなところじゃないか?」
「……そうかもしれませんね」

 あまりに知らないからか。そういう部分はあるのかもしれない。

「個人的にだが、陰謀説は昔から信じないことにしている。それを言い出したら、この世で信じられることなんて何もなくなっちまう」

 それは言えてるような気もする。

「とは言ってみたものの、俺が言っていることを信じるか信じないかも自由だな」

 そこで咳払いを一つ。

「それはそうとして、俺はお前たちが戦場に出るのは正直勧められないな。迷っているなんて言うなら尚更だ」
「でも……」
「でも、なんだと言うのだ。この国の人間たちに言われたから戦うのか? それは違うだろう?」

 言い放ち、ディックさんは視線を上へ向ける。その目は僕も理夢も見てはいない。

「お前はどう思ってるんだ、エステル?」
「戦うか戦わないか、それを決めるのは私ではありません」
「そうだが、俺が言いたいのはお前がどうさせようとしているかだ。こんなのはまるで……」

 言いかけ、視線を僕らに落とすと、呻くように言葉を途切れさせた。
 代わりにエステルさんの声が背中側から聞こえる。

「……この国の人たちじゃありませんが、戦力面で劣勢に立っているのは事実です。この国を守るためにも戦力は少しでも欲しい、という気持ちは私にもあります」
「だから、戦うつもりなら止めないか?」
「本当にその気なら。それに……私たちがここに、このテラスマントに在る理由はどうなるのでしょう」
「理由?」
「縁もゆかりもないテラスマントという異世界に召還された私たち。生まれ育った世界さえを異とする私たちが集ったのには、なんらかの理由があってもおかしくないとは思いませんか。少なくとも……ただの偶然と切り捨てるには、あまりに異常な事態ではありませんか?」
「どうだかな。俺は運命論も真に受けちゃいないぞ?」

 ディックさんはにべもなく答える。
 この世界に召還された理由か。
 言われてみれば、そういうのが存在してもおかしくない気はしたけど、それが何かはまるで思い浮かばない。
 今まで頭が回らなかった部分だし、考えるのに必要な判断材料も足りてないと思う。
 ……いっそ、最初に女王様にでも僕たちは世界を救う勇者とでも言ってもらえたら、よっぽどその気にはなったのかも。
 たとえ、それが勘違いや思い込み、嘘だったとしても。

「だが、仮になんらかの理由があるにしてもだ。もしも戦わせたことで犬死にさせるようなことになったら、それこそふざけるなだ」
「そうさせないのが、少なくとも今の私の役割だと思っています」

 この人たちは本気で話をしている。いくらか重くなったように感じる空気と、言葉の端々にある緊張感が強くそう意識させる。
 そして渦中の僕らは、そこに立ち入れなかった。自分を取り巻く話だというのに。

「あの、ところで」

 急に理夢が声を発する。
 視線を一身に集めて、理夢は言葉に詰まってしまう。
 空気が重かったから思わず口に出してしまった。というところか。
 それでも一息の後に、理夢はしっかりと言葉を発した。

「……自分たちだけでフォースメイルを開発したんですか……この世界の人たちは?」
「だろうな。意外か?」
「それはもちろん。こう言ったら失礼ですけど文明がそこまで発達してるって感じじゃないですし……中世ヨーロッパの延長って感じですし」
「中世ヨーロッパねえ……具体的な部分は分からんが封建制度の延長と言おうとしていると仮定して進めよう」

 まあ、間違えてないと思う。
 巨大な人形。言い換えればロボット。そんなのは空想の産物に過ぎなかった。
 実際にあるロボットはもっと工業機械の親戚らしかったり、犬やら猫っぽく造られたのぐらいしか思い浮かべられない。

「まず忘れちゃならないのは、それぞれの世界の常識が他の世界の常識とは限らないってことだ。俺たちにとって普通だったことがこっちからすれば不条理かもしれないし、その逆もあり得る」
「それはそうですよね」
「それが分かってるなら、ほとんど答えは出ているようなものだが……二人がいた世界に電子レンジはあったか?」
「はい。一家に一台って感じでしたね」
「……そいつはそいつで羨ましいな。とにかく俺からすればだが、この世界は人型の機動兵器はあるのに電子レンジが作れない。逆にそっちは電子レンジのような精密機械があるのにロボットを開発できない。一概にどちらが進歩してるかなんて決めつけられないと思うし、正しいかなんて余計に決められないと思わないか?」
「……そう言われてみれば」

 妙に納得できるような気がした。
 補足するようディックさんは尋ねてくる。

「飛行機は知ってるか? 形状やら細部は無視するとして人を乗せて空を飛ぶための乗り物だ」
「もちろん知ってますよ」

 元の世界なら、小馬鹿にされてるとも取られかねない質問もここでは大真面目で交わされている。

「フォースメイルは飛行機と似た存在なんだ。世紀の発明……存在自体が旧来の歴史やら伝統みたいなのを一変させてしまった、そんな存在」

 だから、この世界の流れは独自だと。
 要はこの世界にはこの世界なりの進化があって、それは僕らの知るものと違うからって間違いとは言えない、ということだと解釈した。

「ところで兄貴のほうからは何か訊いておきたいことはあるか?」
「……いえ、今はまだ……」
「そうか」

 結局のところ……話に立ち入れなかったのは僕だけだったのかもしれない。
 夕暮れ時が迫っていたこともあり、僕らはそこで家を出て城に戻ることにした。
 外に出る時、ユアンは挨拶をしてくれたけど、アンリは顔さえ見せてくれなかった。
 理由が分からないから納得いかないけど、あれだけ警戒されれば仕方がないとは思う。
 外は赤い色で照らされていた。夕焼けの色だ。
 暮れなずむ街の風景は、どこか優しく映った。

「それでは戻りましょうか」

 そう言ってエステルさんが、また先導して歩き出す。
 結局エステルさんがどうして僕らをあの人に会わせたかったのかはよく分からないままだった。
 話がまったく参考にならなかったわけじゃない。
 ディックさんのように技術者、つまり前線に出ないでも協力するやり方はあるのだと分かったから。
 ……でも、僕らにはそのための知識がない。機械いじりなんてほとんどやったことがない。
 それを言うなら、パイロットもそうなるんだけど。
 でも……本当に足りないのは知識でも経験でもない。
 上手く言えないけど、もっと根本的な何か。気持ちに当たる何かが――。

「……尚也君。理夢。二人は気づかなかったと思うけど、さっきのアンリ。彼女がレイドゥンですよ」

 前を歩いていたエステルさんは、振り返らないで声だけを向けてきた。
 だから、どんな表情で今の言葉を投げかけてきたのかは分からない。

「あの子が……レイドゥン?」
「そう。この世界で狩られゆく種族。一体、私たちとどの程度が違うのでしょうね?」

 その問いかけには、僕も理夢も答えを持ち合わせていない。もしかしたら、エステルさんでさえ。
 この人は……全部を分かっていて、だから僕たちをあそこに連れて行ったのか。
 もしも、そうなら……ずるい。卑怯じゃないか。

「あの子も……狙われるって言うんですか?」
「……この国が滅べば、そうなってしまうんでしょうね」

 冷たい。そんな言葉しか思い浮かばなかった。
 分からないことだらけ。それは確かだ。
 でも、あんな小さな子の命を奪って兵器にするような真似を推奨してるなら、そんなのは見逃したくない。
 沈みゆく赤い夕陽を見た。沈む方角が西なのか――今こうして見ている太陽は、僕の知らない太陽なのか。
 分からない。知らない。何もできないかも。でも、何かは決められる。
 僕の心はきっと決まり始めている。青臭い正義感なのかもしれない……でも、それさえ感じられないやつにはなりたくない。
 夕陽と今日の出来事を振り返って――まだここでの生活が始まったばかりなんだと、心からそう思えた。















〜 03 知らない国の、知らない人々 〜





2008年4月5日 掲載。