02 知らない世界の、知らない国
運ばれてきた朝食を食べながら、ぼんやりと頭を働かせる。
僕がいる部屋は自分の部屋じゃなくて、城の中にある部屋の一つだ。
昨日からこの部屋を使わせてもらっている……そのうち別の部屋に移るのかとか、その辺はまだ分かってない。
朝食は焼きたてのパンに、ハムエッグ。小鉢に入った葉野菜メインのサラダ。それからコップに水差し。
意外と家庭的というか、想像の範囲から決してかけ離れていなかった。
パンはロールパンによく似ている。というか同じかもしれない。
焼きたてだからか、市販のパンなんかよりふっくらしつつもっちりしていて美味しい。
そして、食事についてきたのは箸とほぼ同じ二本の棒だ……使い方もたぶん同じ。こういう文化らしい。
水を飲んで一息ついてから、部屋の中をもう一度よく見てみる。様式は自分の部屋とは似ても似つかない。
簡単に言えば、イメージ上の中世の城にある一室そのままだった。
部屋の広さはそれなり……それなりといっても、僕の部屋なんかよりはずっと広い。家具とか調度品が置かれているのにだ。
照明はランプで電灯とは違う。油が燃料で夜に少し使うぐらいだけにしている。火の扱いには慣れてなかったし、なんとなく事故が怖かった。
窓は一つだけあって、外に押し出すように開ける窓だ。あまり開かないから、そこから人が出入りするのはまず無理なはず。
……なんだか逃げ道を探してるみたいな考え方だ。
まだ慣れてない部屋。自分の居場所がない部屋だ。
それでも……思ったほどは落胆しなかった。
もう今じゃ夢でも幻でもないと……諦めてしまったのかもしれない。
「ここは異世界……か」
そうアルメリアさんに教えられたのが昨日になる。
まだあまり信じたくはなかったけど、少しずつ認めてきている一面も確かにあった。
ロボットに乗せられた後、僕はこの城に連れてこられた。それからは医者らしい女の人に問診されたり、この世界のことを教えてもらって。
分かっているのは、ここがテラスマントと呼ばれている異世界で、僕を保護したのはランブレイ王国と呼ばれる国だそうだ。
なんでも、この世界には六つの大国があるらしくてランブレイはその一つなんだとか。他にも小さな国もあるらしいけど、その辺ははっきり分かってない。
そして、この国は現在戦争状態にある。隣の国に侵略を受けているらしい。それが本当なら僕が見たのも戦争の一部になる。
分かってるのは、まだこれぐらいだ。
(後は、あの女医さん……名前は確かレーネとかそんな感じだったっけ)
そういえば、レーネさんは僕を異界人と呼んだ……宇宙人みたいなものか。
他に似た境遇の人がいるのかとかも、全然分かっていない。
というのも説明を受けている最中に、女医さんが急に呼び出されたからだ。
その後は、とりあえずこの部屋に案内されて今に至る。
また流されてるのかもしれない、僕は。だとしても右も左も分からないのに、思うように行動できるかも怪しい。
(それに、ここの人たちってそんなに悪そうな人たちには見えないし……)
あくまで印象でしかないけど。
ただ何も分かってないなら、余計にここから離れたら危ないかもしれない。
これからのことを気にしながらも、とりあえずは食事を終えて、さっさと服を着替えてしまう。
着替えるといっても、いつの間にか用意されていた下着とシャツだけを取り替えて、後はまた制服を着てしまうだけだ。
……その内、本格的にこっちの服を着なくちゃならないかもしれない。
それは決していい状況じゃないけど、帰れる見込みは立ってないんだから。
「ちゃんと帰れるのかな……」
気が動転していたというより、状況が飲み込めてなかったからすぐには思い浮かばなかった。
ここが異世界だとしたら、どうやったら元の世界に帰れるんだろ。
こっちに来てしまったということは、帰る方法もちゃんとあればいいんだけど……。
その時、部屋のドアを叩く音がした。音を立てないでいると、もう一度同じようにドアが叩かれる。
呼びかけらしい。こういうとこは、こっちでも変わらないみたいだ。
「はい?」
「ああ、起きてたみたいね。ドアを開けても平気?」
この声はアルメリアさんだ。着替え終わっていたのもあって、すぐに了解の返事をする。
ドアが開けられると、アルメリアさんとあの女医さんがいた。
「おはよう、昨日はちゃんと眠れたかしら?」
「ええ、なんとか……」
女医さんに前屈みになって笑いかけられる。
なんとなく気まずいのは、こういうのに慣れてないせいだ。美人に覗き込まれる、この状況に。
丸眼鏡に藍色のスーツのような服。その下には白いブラウスらしいのを着ている。昨日は白衣も羽織っていたけど、今日は違った。
背はアルメリアさんよりも頭一つは高い……ついでに僕よりも。
丸みのある金髪が肩にかかって垂れている。
「昨日はごめんなさいね、三崎君。本当なら昨日の内にこの世界のことをある程度教えてあげたかったんだけど」
「いえ、それは全然構わないんですけど……何かあったんですか?」
「もう一人見つかったのよ、異界人が。君と同じぐらいの時にね。その子――女の子だったんだけど、気を失ってから念のため私にお呼びがかかったのよ」
昨日の白衣姿を思い出した。
医者だから……なんだろう、たぶん。僕みたいな特殊っぽい人間を看る以上、もしかしたら特別な立場の人なのかも。
「その人……大丈夫なんですか?」
「ええ、ちょっと気を失ってただけで特に怪我もしてたわけじゃないから。意識ももう戻ってるかも」
「後で会ってもらうつもりだけど……今の段階で会うのが嫌とか、そういうことはない?」
「別にそういうのは……ちょっとだけ不安はありますけど」
そう答えるとレーネさんは目を伏せて優しげな微笑みで頷いた。
「そういう気持ちは当然のものよ。でも私は君から少しでも早く、その不安を取り除いてあげたいと思っているから……何かあったら遠慮しないでね」
「……はい。どうもありがとうございます」
親切にされている……僕が異界人だからなのか。どこか後ろめたい疑問は口にできなかった。
「今日の尚也君の予定を伝えたいけど、オッケー?」
アルメリアさんが話を進めてくる。それにしても、この人はなんでオッケーなんて単語を知ってるんだ?
「……何か変なこと言った?」
「あー、いえ。なんで、こっちの世界と同じような言葉を知ってるのかなーと思って」
「ああ、それね。正確には、そっちの言葉なんか知らないわよ」
「え?」
「私も詳しい原理までは知らないけど、お互いに勝手に言葉が翻訳されて聞こえてるのよ。だから私たちから見れば、尚也君も私たちの言葉で話してる」
「へえ……」
実感みたいなのは全然なかったけど、そう言われると納得できたし安心もできた。
言葉が通じないのは、きっとすごく不安だと思うから。
「話を今日の予定に戻すけど……まずはその異界人の子と、さらに別にもう一人の異界人とも会ってもらう。いいわね?」
「……はい」
「それから君たちに……女王陛下に会ってもらうわ」
「女王陛下って……もしかして、この国で一番偉い人ですか?」
「もしかしないでも、そうよ」
さらりと、とんでもないことを言われた気がする。
国の長……僕みたいな平凡な家庭の人間と、そんな人にはまったく縁がない。
テレビとかで当たり前のようには見ても、身近な人間としてはちっとも受け止められなかった。
だから漠然と凄い人に会うらしい、ぐらいにしか思わなかった。
「陛下から詳しいこの世界の話も聞けると思うから、もしもどうしても聞いておきたいことがあったら考えておいたほうがいいわよ」
「分かりました」
「うんうん。でも敬語を多少間違えるぐらいは気にしないけど、あまり失礼な態度だけは取らないでね」
プレッシャー。急にそう言われても……ちゃんとした敬語を使う機会があまりないから、何を言ってしまうか分かったもんじゃなかった。
とりあえず本当に知りたいのは、ここが異世界だとして元の世界に帰れるのか。ここで僕は何かをしなくちゃいけないのか。
他にも戦争のこととか、疑問が大きなことから小さなことまで多すぎる。
……些細な疑問みたいなのは訊かないほうがいいかな。相手が相手だしやっぱり。
「じゃあ立ち話もなんだし、とりあえず行きましょうか? 準備とかは大丈夫?」
それは大丈夫だ。頷くと、アルメリアさんが先に歩き始めた。
僕とレーネさんもその後ろに続いて歩き出す。挙動不審かもしれないけど、周りがとても気になった。
廊下は茶とクリーム色の混じり合った床に壁。なだらかな凹凸が溝のように浮かんでいる。材質は石材みたいだけど詳しい名前とかは全然分からない。
歩いていく内にいくつもの部屋を過ぎていく。
その時に気づいたのだけどドアは左右対称じゃなくて左右交互に並んでいる。
もしかしたら部屋の間取りも同じようになってるのかもしれない。
廊下を抜けると、エントランスらしい部分に出た。正面には上り階段が側面を見せていて上り口は左手側に見える。
アルメリアさんは階段の後ろ、つまり右手側に向かって歩き出す。
階段のすぐ奥には別の通路が続いている。
アルメリアさんが立ち止まったのは、通路の真ん中ぐらいだ。部屋の入り口がそこにはある。
「ここは?」
「医務室よ」
確かによく見れば、ドアの上に医務室と書かれているのが分かる。
……この世界の言葉を話せるだけじゃなくて読めているのにも気づいた。
アルメリアさんのノックに応じて、どうぞと中から声が返ってきた。
ドアを開けてすぐに医務室に入っていったので、それに遅れないように中に入る。
すぐにベッドが見えて、ベッドの隣とその上に人がいる。どっちも女の人で、ベッドの上にいる方はローブのような服を着せられていて――。
「……理夢?」
ベッドの上にいた人が、声に釣られたように顔を上げる。そこにいたのは確かに妹の理夢だった。見間違えるはずがない。
理夢は硬直したように僕の顔を見ていた。僕もほとんど同じように硬直してしまっていた。
「……兄さん? なんでこんなここに……?」
そう言われて硬直が解けた。急に身近になった現実の相手。
でも、どうしてだ。自分でも分からないぐらいに腹が立った。
「それはこっちの台詞だよ!」
理夢が体を縮めるように身を引く。声を荒げていた。お構いなしに理夢に言う。
「なんで理夢がこんな所にいるんだ! こんな訳の分からない場所にどうして!」
ここに理夢がいるのはおかしい。いちゃいけないのに、なんで……。
「理夢のお兄さん……かしら? 少し落ち着いて。怒鳴っては妹さんが不安になりますよ」
横から鋭く言われた。怒ったような声音ではなかったけど、自分の様子に気づかされるには十分だった。
声をかけてきたのはベッドの横に腰かけていた色白で明るい緑の髪の女の人。
小首を傾げるような角度で僕を見ていた。ただし真顔で。目を逸らすことはできそうになかった。
「あ……すいません……」
「いいえ。それに謝るなら私にじゃなくて、妹さんにでしょう?」
「ごめん、理夢……急に怒ったりなんかして」
「あ……大丈夫だから。少し驚いちゃっただけだから……ほんとに大丈夫」
まだ理夢はどこか驚いたままのようだったけど、そう返してきてくれる。
緑の人もここで初めて微笑んだ。優しい笑い方だと思えた。
この人は髪だけでなく目も緑だった。違うのは色の深み……目の方が深みがある。
本来ならあり得ないような色なのに、何故だか違和感はほとんどなかった。この人にとっては当然のように馴染んでいて、自然な色に見える。
切れ長の眉と目。細面で顔立ちは気品があるというか上品というか。大人びていた顔立ちだけど、笑うと少し幼くなったようにも見える。
明るい緑の髪は腰まで届いていて、着ているのはピンクのドレスに淡い水色のカーディガン。
「自己紹介は……しておいたほうがいいかしら?」
緑の人がアルメリアさんとレーネさんを見る。
「そうね。それにそっちの子は私たちのことは知らないでしょ?」
「ええ。少し前に起きたばかりで、私の名前とこの世界のことを少し話しただけですから」
そう、とアルメリアさんが頷くと理夢に自己紹介をした。続いてレーネさんも。
理夢もどこか困惑したような顔のまま、自分の名前と僕の妹であるのを伝えた。
僕も緑の人に名前と理夢の兄だと改めて言う――それから異界人だとも。
この単語に理夢はため息をつくような反応を見せた。そして緑の人は微笑んだまま頷く。
緑の人が口を開いた。
「私はエステル・ナービー。あなたたちと同じ異界人で、ここに来てからは二ヶ月ぐらいになります」
「……そしてエステルはフォースメイルの搭乗者も務めているわ」
「戦って……るんですか?」
「そうなりますね」
なんでもないように言われた。僕は言葉を失い、理夢はまだ状況を飲み込めていなかったようだ。
緑の人――エステルさんはそんな僕たちの反応を見ているようだった。
「二人には積もる話もあるでしょうけど、先に女王陛下に会ったほうがいいでしょうね」
「それはそうかもね。今は分からないことが多すぎるかもしれないし」
「謁見までの時間は前倒ししても大丈夫?」
「ええ、前倒しも遅刻も許しならもらってるから」
口を挟む暇のないうちに、すぐにでも謁見に向かうことに決まった。
「理夢はどうする? もし、体が辛いようなら……」
「大丈夫。なんだか知らないといけないことも多そうだからね。それに兄さんからの又聞きだと、ややこしそうだし」
ちょっとした憎まれ口も戻ってきていた。とりあえず心配はいらないか?
「立てます、理夢?」
ベッドから起きようとした理夢に、エステルさんが手を差し出す。
理夢は少しだけ戸惑ったようにしたながらも、その手を取って立ち上がった。
「……ありがとうございます」
「いいえ」
「その格好じゃさすがにまずいから、着替えないといけないわね。尚也君、外に出てましょう」
アルメリアさんにそう促される。確かにいくら妹といっても年頃。着替えの場に居合わせるのは、かなり気まずい。
レーネさんは念のためにと問診やらしたいそうなので、中に残ることになった。
医務室の外に出たのは僕とアルメリアさんだけだ。
外に出ると、アルメリアさんはドアから少し離れた壁に寄りかかった。
離れすぎているのもいけないと思って、その横に並ぶ。壁に寄りかかるのは一応やめておいた。
「まさか妹さんだったとはね……なんて言っていいのやら」
「……そうですね。僕も妹まで来てるとは思いませんでした。今更ですけど夢じゃないんですよね……」
「残念ながらね……」
アルメリアさんは僕を見ていない。その物憂げな表情は初めて出会った時のアルメリアさんとはすぐに結びつかなかった。
「あの……エステルさんって、どういう人なんですか?」
「どうって言われても……そういうの説明するの苦手なのよね。とりあえず私は信用してるって言っておくけど」
「……あの人も戦われてるんですよね? その……異界人なのに?」
「そう……なのよね。本当なら、それっておかしいことなんでしょうけど」
アルメリアさんの物言いは少し歯切れが悪かった。
初対面の時の凜とした様子と比べて、やっぱりどこかギャップがある。
そして話は続かなかった。嫌な沈黙がやってくる。かといって下手に何かを言っても逆効果でしかないような気もした。
頭の中をぐるぐるそんな考えが過ぎっていると、アルメリアさんから今度は話しかけてくる。
「尚也君がいた世界はどんなところだったの?」
「僕のいたところですか?」
いざ訊かれてみると、なんと答えればいいのか思い浮かばなかった。
あまりに身近なので、それを他の誰かに説明する機会がないのもあるのかもしれない。
「そうですね……」
考える。何か元いた場所――日本にあって、ちゃんと特徴として伝えられるもの。
そうして急に思い浮かんだ。四季の話をしようと。
「僕のいた世界の国には春夏秋冬って言って、四つの季節が一年の内にあるんですよ」
アルメリアさんは頷いてくる。どこか楽しそうな顔で。
だから四季のいい部分だけを話そうと思えた。
「春には桜っていう花が咲くんです。綺麗な花で、ちょうどそれが咲く頃に僕たちは新たに一年の生活を迎えるんです。次に夏が来て……」
自分で話の中身を考えながら伝えていく。
こうやって考えてみると、日本は季節感に恵まれた国なんだと改めて思えた。
僕にとっては当たり前だったけど、そういう国は世界でも稀だったらしい。
ここは一体どうなんだろ?
今のところは春に近い気候だと思えた。大きなことから小さなことまで、本当に知らないことは多い。
「お待たせしました」
中から理夢たちが出てくる。理夢の服装はベージュのシャツに、紺色をした裾の長いエプロンのようなドレス。
家では見たことがない。こっちの世界の服みたいだ。
こうなってくると浮いてるのは僕だけだった。僕だけが元の制服だから。
「それでは陛下にお目通りを願うとしましょうか」
そうして僕たち一同は歩き出す。少し前に通り過ぎた階段を今度は登って、そこからまっすぐ歩いていく。
……浮いていたのは服装だけじゃない。
男が僕一人だけ。この集団の中じゃ前を見ても横を向いても女だけ。
ハーレムなんて言えば聞く人によっては今すぐ代われってぐらいには羨ましがられるかもしれないけど、ちっとも落ち着かない。
ため息をつきたい気分だ。そう意識したのは、ため息をもうついた後だった。
廊下の突き当たりに大きな扉があった。大人二人が手を繋いだまま両手を横一杯に広げても、まだ少しの余裕がありそうだ。
木製の扉にはアーチ状の取っ手が左右に一つずつ付いている。
扉の左右には門番らしい人たちが立っている。
しかつめらしい顔をした男たちで、右の人は背が高いけど痩せ気味。左の人は背は短いけどがっしりとした体つきだった。
「アルメリア殿、お勤めお疲れ様であります」
「そちらこそご苦労様です。早速ですが陛下への取り次ぎをお願いします」
「承知いたしました。しばし、お待ちください」
背の低い方の人がそう答えると、扉の奥に入っていく。
待たされてる間はなんとなく口を開きにくい雰囲気だった。
そういう状況だったせいか、余計に時間が経つのも遅いような気がする。
でも、実際は思っていたほど待たされなかったのだとも思う。背の低い門番が扉から出てきた。
「女王陛下がお待ちしております。どうぞ中へ」
「心の準備はいいわね?」
そう言われると急に緊張してしまってきた。きっとこういうのに慣れてないからだ。
固くなっていたのは分かるけど、それでも後には退けない。声は出せずに、それでも頷いた。
そうしてアルメリアさんから、扉の奥へ入っていく。
扉の向こうは大広間だった。正確には違うのだろうけど、そう思えてならないほど広い。
入ってすぐに扉よりも幅の広い絨毯が奥へと敷かれていた。
絨毯を目で追っていくと、切れ目から先は階段のように段差がある。段差は五段ぐらいで、そこまで高くはない。
段差の上には玉座があった。
漠然としていた緊張が本物の緊張に変わる。
喉の中がからからに乾いていた。玉座にいるのが本物の女王様だから、か。
透けるような白い陶器みたいな肌に、緩やかに波打った蜂蜜のような深みと光沢のある金髪。
ほっそりと伸びた筋の通った目鼻立ち。ぱっちりと開かれた瞳は淡い青を湛えていた。
歳はどのくらいだろう……若いのは分かる。二十代ぐらい。それも前半か。二十前でも通じそうだ。
白と薄いピンクの布を重ね合わせたようなドレスを着ていて、ドレスには刺繍や折り込みが幾重にも重ねられている。
手の込んだ、それだけで上等の代物なんだと簡単に想像できる。
今までは気品がどういうものか漠然としか知らなかったけど――僕をここで圧倒しているのが気品そのものだった。
「アルメリア・リーフェント。レーネ・フォシアル。まずは日々の務め、ご苦労様です」
「は、もったいなきお言葉」
名指しされたアルメリアさんとレーネさんは頭を垂れてかしずく。
「エステル・ナービー。異界人である貴女の尽力にランブレイの元首として感謝に堪えません」
「ありがとうございます、陛下。ですが、自分で決めたことですのでどうか気になさらずに」
スカートの両端を持ち上げて、エステルさんは一礼する。
そして女王様が僕と理夢のほうを見た。
「初めまして、異界人の少年少女。わたくしはシンシア・ルミレス・ランブレイ。この国の女王に当たる者です」
言葉を切って、僕らの顔を見ている。反応を見てるのか、何を見てるのか。
何かを言い返してもよかったのかもしれないけど、その前にシンセシア女王が話し出していた。
「このような小娘が女王で拍子抜けですか?」
「い、いえ、ちっともそんなことは……」
「ふふ、ありがとうございます。それでは……すでにある程度は聞き及んでいるかもしれませんが、あなたたちを取り巻く状況について話をさせていただきます」
そうしてシンシア女王は語り始めた。この世界の常識を、僕たちの非常識を。
「まず、この国はランブレイ。そして、この世界はあなたたちのいた世界ではありません。わたくしたちはテラスマントと呼んでいますが、お二人には異世界と呼んだほうが分かりやすいでしょう」
理夢の横顔を見る。驚いた様子はなかったけど、真剣に女王の話に耳を傾けているようだった。
「そしてあなたたちのように別の世界からやってきた人間をわたくしたちは異界人と呼んでいます。異界人は希少な存在ですが、過去にもその存在を多く報告されています。ですが、この半年ほどでその報告例が増えたと付け加えておきましょう。ですが、その理由も現状では皆目不明としか言えません。そもそもどのようにして異界人がこの世界に召還されてくるのかさえ、我々には解明できていません」
女王の言うことを信じる前提なら、分かっていないのはこの国の人たちも同じらしい。
でも、そうなってしまうと僕たちは。
「女王様……それじゃあ僕たちは……元の世界に帰れるんですか?」
「……残念ですが、その方法もまだ発見できていません。ですが来たのなら帰ることも可能のはずです」
でも、そんなのは仮定じゃないか。喉まで出かかった、その言葉をこらえる。
口に出してしまったら、本当に現実になってしまいそうで……怖くて何も言えなかった。
「……すでにご存じかもしれませんが……この世界は戦火に見舞われています。この国は元より、世界規模の戦争が起きているのです」
「戦争?」
理夢が反応する。いざ耳にしてみると、それは遠い言葉のはずだった。
いや、今でもまだ遠い。じゃあ、これからは?
「戦争です。他の国は……固有名詞を出しても理解しにくいと思いますので伏せますが、このランブレイを含めて大国と呼ばれる国は六つ存在し、そのうちの実に五国が戦争状態に突入しています。このランブレイも隣国エスフィリスの侵略を受けています。そこのアルメリアたちの活躍で現在は膠着状態に持ち込みましたが……」
シンシア女王は言葉を切り、ため息をついた。心なしか、気の重たそうな顔に見える。
「そして、この世界での戦争は人と人が争うものですが……わたくしたちのそれはフォースメイルと呼ばれる兵器を使用して行われます。あなた方の世界に該当するものが存在するのかは分かりかねますが……」
フォースメイル……ここに来てすぐに見た西洋鎧を思わせる巨大なロボットに違いない。
僕たちの世界にあんな人型のものはなかった。この点に関しては、こっちは僕たちの世界よりも進んでいるのか……それとも別の理由でもあるのか。
「……少し話が主旨から逸れますが、フォースメイルの話をしましょう。この世界での前提にも繋がりますので……」
シンシア女王はここで言葉を切ると、短く息を吐いた。
目を閉じた表情はどこか疲れているようにも見える。女王という立場の苦労は、正直僕には理解できていない。
「……まず、この世界にはわたくしたち人間以外にも多くの動物が生きています。その中にあって我々人間に近い……いえ、人間よりも遙かに優れた力と叡智を持った種族がいます。彼らはレイドゥンと呼ばれています」
「レイドゥン?」
「はい。姿形はそのほとんどは人間と同じような姿を取っています。中には神話に出てくる神獣のような外見をしている場合もあるそうですが……とにかく、その種族をレイドゥンと呼んでいます。元来レイドゥンは希少種であり、わたくしたち人間との接触を避けるように生きていました」
断定はできないのに、ファンタジーに出てくる耳だけが長いエルフを勝手に想像していた。
そういうものなら似てはいても違う種族というのは納得できる。
「レイドゥンもまた集団生活を営み、それでいて人間との接触も避けていました。そのせいもあってか人間にとってレイドゥンはまさに畏怖の対象だったのです。悪魔のように敵視する者もいる一方で、神として崇める者もいる。そうした中、過去にはレイドゥンへの討伐隊を組織した国さえありました」
もっとも討伐はことごとく失敗に終わったのだと女王は続けた。
「かといってレイドゥンも自ら好んで人を襲うことはなく、このまま互いに不可侵でいるのが暗黙の了解となっていきました。それが今から……もう五十年以上は前の話になります。一人の人間がレイドゥンを倒してしまったのです。現実には起こりえない話のはずですが、それは事実として起きてしまいました」
そこから全てが変わったのだと、小さく呟いたのが分かった。
「人がレイドゥンを倒した。それは十分に大事なのですが、それ以上に倒されたレイドゥンはとある地域の主と言うべき存在でした。そして、その遺骸はガイナベルクと呼ばれる国に運び込まれました」
シンシア女王は言葉を切ると、深呼吸をした。
視線を僕たちから外して、ややあってから口を開いた。
「ガイナベルクはレイドゥンの身体機能、構成を調べ上げ……巨大な鎧を作り上げました。それはレイドゥンと互角以上に渡り合うだけの力を秘めていたのです。これを機に……レイドゥンは人に狩られる種族へと変わってしまったのです」
シンシア女王は右手を自分の胸元に当ててから続けた。
「その鎧に長い年月をかけて改良と発展を繰り返したのが、今現在のフォースメイルに当たります。そしてフォースメイルはレイドゥンの核……コアを動力として機能しています」
「つまり……心臓を使って動いてる?」
「その通りです。そのためにレイドゥンは乱獲され今やその数を多く減らしています。現在は複製のコアの精度も上がったことで必要数は減少しましたが、依然として純正のコアのほうが優れているのに変わりありません。つまり、レイドゥンが狩られる対象であるのにも風潮にもなんら変わりないのです……」
言いたいことは分かってきた。そしてフォースメイルが言い換えるなら生体兵器に近そうなのも。
「そしてガイナベルクは積極的にレイドゥンを狩るとフォースメイルを中心とした軍隊を急速に編成し……近隣諸国への侵略を開始しました」
やっぱり、そうなってくるのか。話の流れとしては想像しやすい。
後はフォースメイルの戦力に任せて、そのガイナベルク帝国が破竹の進撃を行った、という感じなのだろう。
実際にシンシア女王のその後の説明は、それを証明し補足する内容だった。
ガイナベルク帝国の脅威を目の当たりした各国も、追い立てられるようにフォースメイルの開発に着手することになり、それは必然的にレイドゥンの絶対数を加速度的に減らすことになる。
幸か不幸か、当時の帝国から技術者の多くが亡命する事件が起きたらしく、フォースメイルの開発に乗り遅れた他国でも早い段階で実用段階までこぎ着けることに成功したらしい。
しかし見方を変えるなら、それは戦争の長期化を促すことにもなった。
「……そのような風潮の中、レイドゥンを守ろうと主張する国もいくつかありました。我がランブレイもレイドゥンを国策として擁護するのを世界に表明していますが……ほんの三年ほど前に一度はガイナベルクに滅ぼされた国でもありました」
「え……?」
「この王都も一度はガイナベルクの手によって蹂躙されたのです。先王は戦死し、一族も家臣団も一度は散り散りとなりました。それでも……わたくしたちは再び元の場所に戻ってきたのです」
もっとも、この話は今は関係ありませんね、とシンシア女王は話を区切る。
「ともあれ、わたくしたちはこの王都を奪還し、ガイナベルクと期限付きながら停戦条約を結んで国としての再建を実現したのですが……今度は隣国エスフィリスからの侵略を受けている。それが現状です」
シンシア女王は言う。
ガイナベルクは他国に従属か征服のどちらかを強いて侵略を始めた。
エスフィリスはそのガイナベルクに対抗するために勢力を拡大し、軍備を着々と整えようとしていると。
「エスフィリス帝国の皇帝フィオンはまだ若年ながらも、その手腕で急速に勢力を拡大しています。それに伴いレイドゥンの捕獲も強く推し進めていて、当然我が国はその方針に抗議しました」
「それで戦争に?」
「抗議したから……というだけではありませんけどね。要因の一つであるのは確かでしょう」
一息つく。僕らも女王も。時間としてはそう長くなかったかもしれないけど、聞かされたのは重要な話だった。
だから、ふと一息つくと、解放されたような気分になる。
「これが現在のこの国を取り巻く現状です。かいつまんでの説明なので詳しい背景を追い切れてない部分はありますが、そこは自分で調べたほうがよろしいかもしれません。こちらが一方的に情報を提示するのは……あなたたちのためにならないでしょうから」
さりげなく深いことを言われたような。
でも確かに……ここで言われたことを全て信じるのも危ないとは思える。
結局、今の説明はランブレイの側に立ってのものだ。酷い言い様だけど、一方的な見方の可能性だってありえる。
それを暗に仄めかされて初めて気づけた。
(……そうか。自分で判断して決めていくのか)
ここにいる人たちも、この国も、本当に信じられるのかを決めることから始めなければいけないんだ。
「この国の状況は伝えました……そして、可能ならば私たちはあなたたちの力を貸していただきたいのです」
すぐには言われた言葉の意味を、実際の行動に置き換えて想像できなかった。
力を貸す……それは戦争に荷担するってことで、それはつまりアルメリアさんのようにフォースメイルで戦えってことで――。
「僕たちに戦えって言うのか! あの巨大なロボットに乗って戦争をやれって言うんですか!?」
「……必ずしもそうだとは言いませんが、大筋ではそうなります。異界人はこの世界において何かしら特別な才能を持っていることがほとんどなのです」
「だからって僕たちにそんなことができるわけが」
「正直に言いましょう……わたくしはあなたたち異界人の力を借りたいのです。無関係なあなたたちの力を借りてでも戦争を終わらせてこの国を……世界を守りたいのです」
話がおかしい方向に進んできた。とんでもない。関わらないで済むなら、関わらないほうがいい類の話だ。
だいたい特別な才能があったとしても、それがフォースメイルの操縦適正とかとはまったく関係ないかもしれないのに。
「無茶苦茶だ、こんなのは……!」
「……仮にわたくしたちの提案を断ったとしても、その意見も尊重し客人として迎える立場にも変わりありません。その点はランブレイ女王の名の下に保証いたしましょう」
「……今すぐに答えなくちゃいけませんか?」
口を挟んできたのは、今まで黙っていた理夢だった。
理夢は静かな態度でシンシア女王を見ている。
「いいえ。すぐにとは申しません。ですので、どうかお二人で考えて結論を出してください。そしてこれが強制でないのもどうか忘れないでください」
「分かりました……一つだけ訊かせてもらっても構いませんか?」
「ええ、なんなりと」
「……どうしてシンシア女王はレイドゥンを守ろうと考えているのです?」
その何故に、シンシア女王は目を伏せた。目を開けてから返ってくる言葉はしっかりとしていた。
「ランブレイ王家にはレイドゥンの血が流れているのです。数代前の一族からですが、確かに今も脈々と受け継がれているのです。これは人とレイドゥンが決して対立する存在ではない証ではないでしょうか。わたくしたちのご先祖様はそれを実現し、わたくしもそれを信じているのです」
これが理由では足りませんか、と女王は理夢に問う。
そんなことはありません、と理夢は頭を振った。
「これで……お互いの現状とわたくしたちからの要望は伝えました。どうするかはあなたたちで決めてください。ですが一つ考えてみてください。あなたたちがこのテラスマントに召還された理由を」
女王との謁見はこれで終わりとなった。その後はすぐにアルメリアさんにまた先導されて歩き出す。
終わってみると気持ちは結局すっきりとしないまま、かえって問題だけが増えてしまったような気がする。
それでも分からない部分はある程度解消されたと思う。今度はそれ以上の疑問とかを突きつけられた気もするけど。
「夢じゃないんだよな……」
歩いてる内に思わず呟いていた。
もう夢じゃないのは分かりきっていたのに。それでも、どうしてもこの考えが頭から切り離せない。
なんて僕は……諦めの悪い。
「兄さん……」
理夢がため息をついた。直後の行動は早くて、ほとんど躊躇いがなかったんじゃないのか。
頬を思いっきりつねられた。完全に不意打ち。
「いたた、何するんだよ!」
「っ! ……本気で叩く!?」
「先にやってきたのはそっちだろ」
反射的に妹の頭を叩き返していた。しかも痛みのせいで加減とかはしてない。多分してない。
理夢はちょっと涙目になって僕を睨み返していた。
「……痛いってことは夢じゃないんだから。私だってこんなのはおかしいと思うけど、そういう考えは捨てないと……」
「分かってるよ、それぐらい」
本当はとっくに。ただいつだって辛いことは認めるのが怖い。
それが些細なことだとしても辛いのには変わりないんだから。
「僕たちはこれからのことを考えなきゃいけないんだ」
「分かってるならいいよ、ああ、それと兄さん」
「なんだよ」
「つねったのはごめん、謝る。私もちょっと短絡的だった」
「……こっちこそごめん」
「仲がいいのね、あなたたち」
アルメリアさんがどこか感心したように言う。
別に仲が特別いいとは思わないけど……でも、悪くもないのだとは思えた。
「これからだけど、とりあえずどうしようか? ここの案内とかをしてもいいし、それとも考えをまとめるなら部屋に戻ったほうがいいのか……」
「うーん……」
「それでしたら、アル。二人を借りたいんだけど、いいかしら? ディックに会わせてみたいのもあるし、それに異界人同士の方が話しやすいこともあるでしょうし。もちろん、そちらと二人がよければですけど」
そう言ってきたのはエステルさんだった。
意図はまだ分からない。アルメリアさんは僕らを見る。
こっちの意見を促してるような気がした。
「私なら構わないですよ。兄さんは?」
「なら僕も別にいいですけど」
そう答えるとアルメリアさんはレーネさんに話を向ける。
「レーネはどう思う?」
「いいと思うけど。身体に異変も見つかってないし、ここにいるよりもいい気分転換になるかもしれないじゃない」
「オーケー、分かったわ。でも、念のため夜には戻ってくること。それからディックの所に行くなら、これで何か買っていってあげなさい。たぶん喜ぶわよ」
アルメリアさんがエステルさんに小さな何かを渡す。
はっきりとは見えなかったけど丸い何か。硬貨かもしれない。
「それから尚也君はちょっと待ってて。さすがにその格好じゃ目立つでしょ」
そう言われてみれば確かに。アルメリアさんはどこかに消えたと思うと、程なくして男物らしい上着を持ってきた。
これでも来てなさいと、上着を放り投げられる。……結構、大雑把?
渡されたのはモスグリーンのコートだった。これを羽織っておけばいいのか……いいのか?
「じゃあ尚也君に理夢ちゃん。これから二人とどう関わっていくのかは分からない。でも私たちは決して君たちを粗末にしないから」
断言される。横にいるレーネさんも微笑んで頷く。
それなのに僕はまだ二人に曖昧な返事しか返せないままだった。
不甲斐ない。そうは思う。でも、はっきりと頷いてしまうと……後戻りできなくなってしまうような気がした。
結局、よく分からない曖昧な気持ちを抱えたまま、僕らは二人と別れて街へ向かうことになる。
放り込まれたこの世界に、答えのようなものはあるのだろうか?
〜 02 知らない世界の、知らない国 〜
了
2008年3月19日 掲載。