「暑いし、汗をかくし――まったく、咲夜のやつ。ただ疲れただけだったではないか」
髪留めのゴムを外すと、不満の言葉とともにナギは自らの体をベッドに投げ出した。綺麗な金色の髪が白いシーツに広がる。
お祭りからの帰り道、ナギは不機嫌だった。
「咲夜さんは楽しそうでしたけどね」
マリアは、祭りに行くことを企画し、自分たちを誘った少女の名前を口にしてナギの傍に腰掛ける。
「そりゃあそうだろ。アイツは笑いのための人間観察だとか何だとか言って、ネタにするんだからな。楽しいだろうさ」
まったくもって、と言うよりはむしろ見事なまでに振り付けが揃っていない盆踊りを食い入るように見つめたり、屋台で値切ったりと、存分に楽しんでいた。
「伊澄さんは――」
「伊澄は、ほとんど迷子だったろ。ワタルはワタルで、必死に探して見つけたのはいいけど本人の目の前じゃ顔真っ赤にしてなんにも――いや、あれは楽しかったな」
フフンとやや意地悪くナギが笑う。もうと苦笑いのマリア。
関係を進展させるチャンスだったのだが、どうにも日頃のヘタレぶりが抜けず、言葉につまってはリンゴアメを奢り、話題を探しては綿アメを買って、また気恥ずかしさとその場のノリか、伊澄だけ奢るわけにもいかず、他のメンバーにも奢ったのだからワタルにしてみればとんだ散財に終わってしまったようである。
「ハヤテのやつは――」
自分の執事の名前を口にしたところで言葉を切って、少女は苦虫を噛み潰したような顔で唇を尖らした。同時に、一人の少女のことも思い出したのだ。
そこで会った少女は、出会った途端に気恥ずかしそうに、でも本当に嬉しそうに笑っていた。少女に出会った、ハヤテも楽しそうであった。とはいっても、彼女の執事も、彼曰く、楽しむ側としてちゃんと祭りに行くのは初めて――であったから、元々ハイテンションであったのだが。
「大体、なんでハムスターがあそこにいるのだ?」
「お祭りだからでしょう?」
都内でのお祭りなのだから、可能性は高くはないが、偶然会ったとしても不思議ではない。
「お祭りって言ったって、ひまわりの種なんか売ってないんだぞ? 売ってなかったよな?」
売ってませんでしたね、と答えてから、マリアは質問を返す。
「でも、遊んでたじゃないですか? 一緒に、金魚掬いやったりして」
「別に。あれは、ハムスターが勝負を挑んできただけだ。そもそも、なんでがハムスターと勝負しなきゃいけないんだ?」
「負けちゃいましたしね」
ナギは、うるさいと言って目を閉じた。
痛いところを突かれたらしい。
勝負といっても、いたってレベルの低い勝負だった。掬い上げたところで逃げられる。掬いあげようとして紙が破れる。そもそも、金魚に追いつけないといった苦難苦闘の跡、最後の最後でナギのいうところのハムスターが紙をギリギリ破りながらも、執念で一匹掬い上げたのだ。
無論、その勝負で何がどうなるわけでもなかったのだが、何でもないことに熱くなれる麗しいライバル関係と言うべきなのかもしれない。
が、だからこそナギにとって負けたのが悔しい。
負けず嫌いの少女にとって、どんな勝負だろうが勝負ごとに負けるのは不愉快なことであるし、それがハムスターともなれば、悔しさも千倍。そんな気分で祭りを振り返れば、当然楽しいものではなく――
「だから、つまらな――」
そう、言いきろうとした涼風が、ナギの顔を撫でる。
目を開け、見上げるとマリアが団扇で自分を仰いでいた。
「マリアは――楽しかったか?」
「ええ、楽しかったですよ」
「ふーん」
そう言うと、マリアの膝に頭を乗せた。マリアは一瞬驚いた顔をした後、微笑んで再び扇ぎはじめる。
静かな空間に、庭で鳴く虫の声だけが細く空気に溶けるように響く。
「冷房、強めます?」
「いや――このままでいい」
そうですか、とマリアがまた笑う。
快適と言うほど涼しくもなかったが、それでもこのままでいいと思った。
「あっ、でも寝るときは強めてくれよ」
「はいはい」
虫の声と、涼風がナギをそっと包んでいた。
ナギが膝に頭を乗せたまま寝入ってしまい、彼女の大切な人が困るのはもう少しだけ先のことである。
おしまい