放課後。誰もいないはずの教室から四つの声が漏れてくる。

「夏ね」

「夏?」

「夏かな〜?」

「いや、秋じゃないか」

 教師の言葉に、教え子たちの返事は厳しかった。
 既に日付は九月、だが残暑が厳しいことも考えれば
、たしかに季節は夏と呼ぶべきか、秋と呼ぶべきか微妙なところかもしれない。
 だが、教師は断固として季節は夏であることを主張した。
 その理由は――

「ロクにビアガーデンにも行ってないのよ」

 こんなんじゃ、夏も終わらないわよ、そう白皇学院教師・桂雪路は叫んで教卓を叩いた。
 が、生徒達の返事はやはり厳しい。
 
「行けばいいじゃないか」

 教え子の一人、花菱美希は突き放し、

「あっ、でもお金が――」

 もう一人、瀬川泉は何かに気づき、

「貸さんぞ」

 最後の一人、朝風理沙は教師の希望を粉砕した。

「まだ、何も言ってないじゃない」

「違うのか?」

 答えず、わざとらしく、大袈裟に、大音量で吹かれた口笛の音が教室の外にも漏れる。
 どうやら、違わないらしい。
 美希が、さすがに呆れ声をあげた。

「まったく、しょうがない。我々は高校生だぞ? それも、一年生。つい半年前までは中学生だ」

「そもそも教え子だし」

「あら、生徒だからって差別はしない主義なのよ?」

「分別だろ、生徒から借りないのは」

「大体、桂ちゃんお給料もらった途端に全部お酒に使っちゃうんだもん」

「全部じゃないわ。借りたお金返すのにも使ってるわよ」

「なお悪いわ」

「もっと、雪路も計画性を持ってだな――」

 ガタッ カラカラ

「計画性? 例えば夏休みの宿題を七月からコツコツやってるとかそういう意味かしら? 計画性を持つって」
 
 畳み込まれて、バツの悪そうな顔をしていた教師が途端に蘇り立ち上がり言った。
 反撃の芽を見つけたその表情は、喜色満面といった感じである。
 夏休みの宿題にまったく着手せず教師に泣きついた自分たちの立場を思い出した生徒が、怯む。

「で、でも、桂ちゃんだって宿題は残した口だったんでしょ?」

 教師はもちろんと胸を張る。

「なら、人のことを」

「言えるわ。だって、あたし教師だもの」

「……いや、自分のことを棚に上げて人に説教するのは」

「自分のこと棚に上げないで、どうやって人に説教するのよ」

 というか、あんた達だってしてたじゃないと、丸めたノートで三人の頭を軽く叩く。

「まぁ、待て」

 と美希が片手を上げる。
 
「何よ?」

「我々の望みはなんだ?」

「宿題を片付けること?」

 まぁ、そうだなと美希が泉の言葉に満足そうに頷く。
 そうか、と美希の意図を察した理沙がニヤリと笑う。

「では、雪路、お前の望みは何だ?」

「ビール飲みたい」

「素直でよろしい。我々は、他のまぁ出来不出来は問わずにやっつけて、残るは世界史の宿題のみだ」

 ガランとした教室に沈黙が流れる。

「…………焼き鳥は?」

「枝豆もつけてやろう」

「おかわりOKだよ」

「商談――」

「――成立ね」

 教師が手を伸ばす。そこに生徒の手が、一つ、二つ、三つ。


 そして、私もその上に手を伸ばした


「あれ?」

 この場にいるのは、自分と教え子三人。あるはずのない四つ目の手に教師の思考が止まる。

「面白そうな話してたわね」

 四人の視線がいるはずのない一人の顔に集まる。
 視線の先にいたのは、生徒達の友人で、教師の妹。
 私、桂ヒナギクに。

「ゆっくりと聞かせてもらおうかしら」

 近くの机から椅子を、宿題のために集められていた三人の机の前に引き寄せる。

「い、いつからいたの?」

「お姉ちゃんが立ち上がったときからよ。音、したでしょ?」

 カラカラって、と付け加え私は椅子に座った。

「した――かな?」

「したような?」

「しないような?」

「まっ、どっちでもいいわ。これ終わったら、最初からゆっくりと聞かせてもらうから」

 ノートを指差し、笑ってみせる。
 三人も、笑う。
 ただし引きつった笑顔で。
 お姉ちゃんも――

「お姉ちゃん、どこ行くのかしら?」

「えっ、いや、ははは、ちょっと気分転換に歩いただけよ?」

 戸へ向かう足を止め、笑った。

「ふーん、気分転換になった?」

「う、うん。もうバッチリ」

「そう、よかったわね。さっ、再開しましょう? わからないところあったら、私とお姉ちゃんが教えてあげるから」

 しばらくの沈黙のあと、四つの口から異口同音に「はーい」という疲れた声が教室の中に響いた。


 おしまい