「そもそもアイツら、頭良すぎなんだよな。こっちが必死こいて…」
少年は、途中で言葉を止める。
このまま心中を全部吐露してしまうのは、あまりにも自分が惨めすぎる。
舌打ちし、再び息を吐く。
わかりきったことだった。
ナギ、咲夜とは比べ物にならない。
そして、もう一人の少女には負けているとは思わないが、何故か試験では一度も勝ったことが無い。
つまり、ちょっとやそっとの努力では飛び級枠に入ることは不可能である。それをわかった上での受験だった。
ちょっとやそっとじゃない努力はしたつもりだった。下げたくない頭を名前ばかりの許嫁にも下げて、勉強を教わりもした。
やれることは全部やった。
自信を持ってそう言える。
それでも現実に結果が出てしまうことは―
「キツイよなぁ」
「なんや。レンタルビデオ屋、いよいよまずいんか」
頭上から突如聞こえた聞き覚えのある声に、驚き顔を挙げれば、そこには見知った顔。
小脇に何か抱え、コートのポケットに片手を突っ込んだ咲夜が、いつのまにやら目の前で挨拶代わりに手を上げている。
ワタルを驚かせたのが小気味良いのか、ニヤニヤと笑っている。
「サ、サク!? お前、なんでこんなところに」
他人には、特に知り会いには、その中でも咲夜には絶対見られたくない、聞かれたくないことだっただけに、ワタルの顔が赤くなる。
幼馴染四人の中でも僅か数ヶ月の差とはいえ一番年上の咲夜。いや、その僅かな差を持ち出すまでもなく、ワタルにとってはずっと頭が上がらない存在であった。
「そら、こっちの台詞。こんな暗い中、暗い顔してブランコをキコキコいわしてるんやもの。
少年店長が、経営難でいよいよ首吊りでも考えてるのか思ったわ」
「そんな苦しくはねえよ。そっちこそ、遊園地客入ってないんだろ。大丈夫なのかよ」
「うっさいわ、ボケェ。あそこは立地も悪くないし、これからや、これから」
「それでお前は? ナギのトコにでも行くのか?」
一つ反撃できて、ようやく落ちついたのか、咲夜の目的を問う。
問われた咲夜は、違うよ、と首を振り小脇に抱えていた物を手に持ち直す。
「アンタ探しとったところ」
「俺を?」
「そっ。これ見せにな」
見れば咲夜の手には分厚い封筒。ワタルはそれが何であるか、即座に理解した。
自分には手に入らなかったもの。
「何だよ、それ?」
「何やと思う?」
数日前、自分のところにも同じ物が、いや、正確には良く似た封筒が届いた。自分の所に届いたそれには、『入学手続書類在中』と書かれてはいなかったし、咲夜の持っている封筒より、中身の入っていないごく薄い封筒だった。
なんだってそんなものを自分に見せるのか。
咲夜だって、試験を受けた人間の中で、誰が受かり落ちたのかは見当がついているだろうに。
そんな思いに、ワタルの語気がやや荒くなる。
「白皇の入学手続書類だろ。 俺が言ってるのはそんなことじゃない!」
「なんやぁ、その顔は? 飛び級試験で4番目だったワタル君に自分が合格したのを見せびらかしにくるような、そんな傷だらけの白ウサギに山盛りの塩を擦りつける人間にウチが見えるか?」
腹立たしさを隠そうともしないワタルへの、心外だと言わんばかりに肩をすくめながら咲夜がおどける。
「実際、やってるじゃねぇか!」
少女は答えず封筒をワタルに向かって放り投げる。
受け取り、見ればそこには『愛沢咲夜様』ではなく『橘ワタル様』と書かれている。
それを認識した瞬間、少年は反射的に立ち上がっていた。
「おっ、お前…これ、どういうことだよ?」
少女は、そんなワタルの様子に微笑を浮かべながら口を開く。
「ウチなぁ、白皇入るの辞めにしたんや」
予想外の言動に少年の混乱が深まる。
「……なんで?」
「んー? ほら、ウチは白皇じゃなきゃいけない理由なんてないし。 ナギにも伊澄さんにも会おう思えば、いつでも会いにいけるしな。でも、アンタは―」
そうやないやろう?
そう続ける代りに、ワタルの隣のブランコに腰掛ける。
確かに、このまま違う高校に入学してしまえば、ビデオ店のこともある。伊澄に会う機会は激減してしまうだろう。想像するだけでも憂鬱になってしまう。
しかし、だからといって―
「俺は行かねぇぞ」
「譲られるなんてみっもない真似ができるかっ、か。うんうん、アンタにしてはうまい言い訳思いついたなぁ」
顔を背け拒否したワタルに音の出ない程度の軽く拍手を送り、頷く咲夜。
「はっ?」
「だって、そうやろ? 白皇の飛び級入学生ともなれば、テストでええ点とらな、留年、下手すればあっという間に退学なってしまうやろうし。 そんな、カッコ悪いところ伊澄さんには見せられんものなぁ。 ああ、ごめんな。 アンタみたいなヘタレにこんな話せんかったら、そんな言い訳せんでも良かったのにな。 いやぁ、すまんかった、すまんかった」
手を拝むようにして謝っているのだが、少しも悪びれた様子はない。
そんな咲夜の態度に、いよいよワタルの堪忍袋の緒が切れた。
「はぁ? 誰がそんなこと思うかよっ!」
ワタルの叫びは、咲夜の含み笑いで報われた。
小さい頃から、何度も何度もハメられたときに見てきた含み笑い。
咲夜の笑顔に、今度もそうなのだと気付いても、叫んでしまった言葉は戻らない。
―コイツはこういうヤツなのだ。だから、頭が上がらない。そして今回も。
「なら、入って証明してみるんやな〜。まぁ、無理にとは言わんよ? 無理にとは」
答えを聞くまでもないと言わんばかりに勝ち誇った笑顔で、少女が笑う。
一瞬だけ、それでも行かないと口走りそうになるが、どうせ言ったところで別の言葉でやり込められるだけなのだ。
「……入るよ」
「んー? 聞こえんなぁ」
咲夜は、わざとらしく手を耳に当てている。その態度に、ワタルの声が再び大きくなる。
「入るよっ!」
「入るって、どこに?」
「白皇にだよっ。どうせ、入るっていうまで、ブツブツブツブツ言う気なんだろ?」
「さあ、どうかねぇ? まっ、がんばりや。お姉ちゃんは応援してるで」
よっしゃという小さな掛け声と共に立ち上がり、『お姉ちゃん』はワタルの頭をポンポンと叩いた。
心の表面の敗北感と、奥底の感謝の念で、それを複雑な顔をしたまま、受けていると咲夜の手がパタと止まった。
「あっ、そうそう。サキさん、アンタのこと探しとったよ。早く見つけてやらな、危ないんやないかな」
「なっ、それもっと早く言えよ。 それじゃあ………ありがとな」
ワタルはどうにか聞き取れるぐらいの小さな声で礼を言うと立ち上がり、ドジでそれでいて大切なメイドを、ワタルが試験に落ちたことに本人と同じぐらい落ちこんでいたメイドを探すため慌てて走り去っていった。
「はい、さよなら。 伊澄さんだけじゃなくナギのこともよろしく頼むでー」
手を振りながらの咲夜の別れの言葉は、届いた様子はないようだった。
それでも、満足気な笑みは陰ることはない。
「手のかかる子ほどかわいい、言うけどなぁ。あっ、そうや」
同じように手がかかる親戚の少女の顔を思い出し、ニヤリと笑うとパンパン手を叩いた。
どこに控えていたのか、黒服の執事二人が主人の元に駆けつける。
「なんでしょう、お嬢様」
「ん、予定変更。ナギんとこ寄ってくわ」
「三千院家にですか?」
「そっ、こんな楽しいこと一人で黙ってるなんて犯罪やもの」
何を話していたのやらと顔を見合わせる執事二人をよそに、少女は楽しげに口元を隠し、笑った。
終わり