拍手の中手渡されたのは赤い花がメインの大きな花束だった。この花、名前はなんと言ったっけ?
 課の代表として、手渡してくれた先輩が頭を撫でてくれる。

「じゃあ、向こうに行ってもしっかりやるのよ」
「はい、いままでお世話になりました」
「はい、お世話しました。ほら、泣かないの」
「泣いてませんよ」

 そう答える私の声は、涙声だった。



 超能力支援研究局、通称BABEL。
 そこでの最後の勤務の日、私は久しぶりに彼女達を見かけた。
 両手に私物と同僚達からの花束を抱え、門を出ようとしていたところだった。
 スピードを落として、ゆっくりと入ってきたワゴン車。
 一瞬すれ違った車中では、一人の青年と二人の少女がじゃれあっていた。
 赤いショートカットの少女と、眼鏡をかけた少女は本当に楽しそうに。 青年も退かそうとしているものの、嫌がっている風ではない。
 彼女達が私の視線に気づいた様子は無く、車は敷地奥の駐車場へと向かっていく。

 ワゴン車を見送る視界が再び揺らぎ、水滴が花束を包んでいたフィルムで弾けた。









 彼女たちと始めて直接会ったのはBABELでの勤務にも慣れてきた半年前のことだった。


 局長室の主である桐壺帝三局長は、チルドレン達が絡むと人が変わるという欠点で有名だが、重厚な外見とそれに見合った能力の持ち主でもあり、BABELには欠かすことのできない人物である。
 その局長から局長室に呼び出され、下された辞令に私は驚き問い返さずにはいられなかった。

「『ザ・チルドレン』現場運用主任…ですか?」
「そう、前任者の新井君が入院してしまってね。
 君も知っての通り、あの三人は超度7の超能力者。いわば国の宝と言ってもいい存在だからネ。くれぐれも慎重に頼むヨ。
 ああ、そうそう。現場での指揮は私が執るからそこら辺のことは心配しなくていい。
 緊急のことで大変だろうと思うけど、後任者が正式に決まるまでの間だから」

 そう一気に捲くし立て、不服はあるかネと言わんばかりにニッと笑った。

「は、はぁ」
「大丈夫、柏木君が説得に当たっているからほんの短い間だろうからネ」
「わかりました。なんとか頑張ります。失礼します」

 局長は「うむ」と軽くうなずくことで緊急の辞令を簡潔に終わらせた。
 退室し局長室のドアを閉めた瞬間、いろんな思考が頭を巡りだす。

『新井さんが入院……骨折とか? もしかして胃潰瘍?
 そういえば、この間チラッと見かけたときも白髪増えてたしなぁ』
 大体なんで私なんだろう?
 最近なにか大きな失敗……昨日コピー枚数間違えたから? まさか、そんなわけないわよね。
 あっ、先輩と昼休みの雑談中に「なにもボールペンにまでBABELのロゴ入れなくてもねぇ」って言ったのを聞かれたとか?』

 グルグルといろんな所を巡っていた私の思考は、最終的に一つの点に止まった。
 ――私にチルドレン達の相手なんて務まるんだろうか?
 その一点に。





 重い足取りで自分のデスクに戻り、気持ちを落ち着けるために買ってきた缶コーヒーのタブを起こす。
 飲もうと一回持ち上げて、しばらく口元で止めた後飲まずに下ろす。

「お帰り、アンタなんかやったの?」

 ため息を漏らした私に、隣の先輩がパソコンから目を逸らさず小さな声で問い掛けてくる。
 その声は心配が九、好奇心が一といったところだろうか。
 内心ではその比率が逆転するかもしれないけど。

「やってませんよ……いや、やったのかな。
 とにかく、今日から『ザ・チルドレン』現場運用主任代理だそうです」

 言い終えコーヒーをもう一口すする。甘さが口に纏わりつく。
 ブラックのほうが良かったかもしれない。

「へっ?」

 予想外の返事だったらしく、その声は少し大きめだった。
 大抵のことには動じない先輩が驚いたことに少し嬉しくなり、言葉を続ける。

「代理が見つかるまで、チルドレンのお世話係をやれですって」

 いつのまにか先輩は画面から目を離し、それどころか同僚の目もはばからずにこっちに椅子を近づけると、真面目な顔を作りこう言った。

「主任代理ねぇ。上手くやれば出世コースじゃない。おめでとうって言ったほうがいいかしら」

 睨んではみても先輩の顔を変わらない。
 この先輩は、時々こうやって心にも無いことを口にする。
 BABEL所属の超能力者の中でも有名である『ザ・チルドレン』の性悪さを、知っていてこういうことを言うのだ。
 他の超能力者と比べて、あの三人ははるかに評判が悪いのだ。

「あの三人の噂は、先輩のほうがよく知ってるじゃないですか。
 他のチルドレンの担当なら別にいいですけど、よりによってあの三人なんて……。
 大体なんで私なんですか?私なんかやりましたっけ?」

「知らないわよ、私が決めたわけじゃないし。年近いからじゃないの」
「近いって言ったって、十歳以上離れてるんですよ、あの子達と」
「それでも近いものは近いわよ。新井さんもその前の福田さんも、親子どころか下手すりゃ孫とお爺ちゃんに見えたし」

 なるほど。言われてみれば至極単純な理由だ。そして単純だからこそ理解もしやすい。
だけど私は理解できたからって、愚痴の一つもこぼさずに「はい、そうですか」と納得できるほど立派な人間ではないのだ。

「同じ失敗はしないってことですか。でも、それなら先輩に話が行った方がいいんじゃないですか?
 あの子たち十歳ぐらいだから、ちょうど親子みたいに見えますよ?」
「余計なお世話よ。
 まっ、そんな軽口叩けるなら大丈夫ね。
 そうだ、後で胃薬差し入れてあげようか? BABEL印の」

「結構ですっ!」

 乱暴につかんだ缶の中でコーヒーが揺れた。







 コーヒーをなるべくゆっくりと飲み終えたあと、私はチルドレン達の待機室に向かった。
 落ち着かせたはずの気持ちも時が経つにつれて再び乱れていく。
 ドアの前、深呼吸を一つ。
 すりガラス越しに室内の様子は窺えない。
 心臓の鼓動がやや速い。こんなの初出勤の時以来だ。
 もう一度深呼吸をしてドアを開く。
 玩具や雑誌、食べかけのお菓子で散らかっている室内にはひどく甘い匂いが漂っている。
 お菓子の匂いにしてはきつすぎる。心中で首を傾げる私を怪訝そうに見ている可愛いらしい容姿をした三人の子供。
 悪名高き『ザ・チルドレン』の三人だ。

「はじめまして。今日からあなた達の担当になる、鈴木恭子です。短い間になると思うけどよろしくね」

 緊張のせいか中途半端な口調になってしまった。
 やや間があった後、三人は次々と口を開く。

「アタシは明石薫、よろしく」
「ウチは野上葵、よろしゅう」
「三宮紫穂。よろしくお願いします」

 それぞれ自己紹介し終えると、揃ってペコリと頭を下げる。
 自己紹介なんてされなくても名前も顔も知っていた。
 基本的にBABELは、この三人を含むエスパー達を中心に運営されている。
 だから彼女達のことは、情報としても噂としても知っていた。
 私の耳に入ってきた話は圧倒的に悪い噂のほうが多い。
 でも直接会ってみて、私はホッとしていた。

 思ったよりもいい子達、と。

 ペコリと頭を下げた三人の可愛らしさに、今までの担当者が自分の面子を保つ為に悪評をばら撒いたんじゃないかと、随分と虫のいい解釈も頭を掠めた。
 そんな楽観に身を浸す私の胸を、軽い違和感が通りすぎていった、物理的に。

「きゃっ?」

 何が起ったのかわからず、思わず胸を抑えた。

「どうや? Cやろ」
「んーっ、いや、見た目はCに見えなくも無いけど、この感触はぎりぎりBだねっ」
「なんや、ウチの負けかぁ。今月ピンチやのに。ウソやないやろうな?」
「アタシは乳にはウソをつかないっ!」

 まるで贋作を見極める画商のように鋭い目をした薫ちゃんの答えに、ブーと頬を膨らませながらガマ口を開ける葵ちゃん。

「威張って言うことかしら。わかったんだからそろそろやめてあげたら」

 紫穂ちゃんの発した制止の声は、一かけらの熱意すら帯びていなかったし、第一、当金を受け取るその姿からは誠意も感じられなかった。

「まっ、短い間だろうけど、よろしくなっ」

 そう言うと薫ちゃんは、ポケットから栄養ドリンクを取り出し、それを一気に煽った。
 こうして私は、自分の見込みがとんだ見当違いであったことを思い知らされたのである。









「さっ、検査の時間よ」
「また〜? 一昨日やったばっかじゃん」
「しょうがないでしょ。あなた達に何かあったら大変だし、研究とかも色々あるんだから」
「失礼な話やわ、モルモットやあるまいし」

 ツンと顔をそむけた葵ちゃんに、「ねー」とうなずく紫穂ちゃん。

「そんなこと言わないでよ。検査の予定だって詰まってるんだから」

 今日の予定が書いてあるプリントを三人に突きつける。
 他のチルドレン達の予定もあるし、一昨日も来るのが遅いと先生に怒られたばかり。
 これで今日も行くのが遅れたらなんと言われることか。

「じゃあ、やるからなんか買って」
「無理言ったらアカンよ。薄給なんやから」
「な、なんで知ってるの? まさか……紫穂ちゃん?」

 振り向くと、情報源であろう紫穂ちゃんはペロリと舌を出しながら「さっ、行きましょ」と、二人を連れて、そそくさと出ていってしまった。
 とりあえず先生に怒られるのは避けられそうなのを、ささやかな幸運と捉えるべきだろうか?




 あれからの二週間。
 チルドレン達が出動が必要とされるような大きな事件は無く、あっても他のチルドレン達が出番の時で、『ザ・チルドレン』が出動することはなかった。
 そしてこの間、チルドレン達は一事が万事こんな態度だった。

 反抗的で社会性に欠ける。

 この二週間、彼女達を担当してみて、私はBABEL職員の間で囁かれていた三人の評価に概ね納得していた。
 三人の顔を見てみる。

 明石薫ちゃん。
 超度7の念動能力者。
 栄養ドリンクを煽りながら変な雑誌を読んでいる。
 過去の担当者が、包帯やバンソウコウと縁が切れなかったのは、この子のためである。
 私に対しては目立った暴力はなかったけど、言葉でのセクハラや、時折向けられる視線には鳥肌を浮かべずにはいられない。

 野上葵ちゃん。
 超度7の瞬間移動能力者。
 検査を受けている紫穂ちゃんを横目に、レシートの束をしかめっ面で見ながら家計簿をつけている。
 『ザ・チルドレン』の中では一番常識的な子に見えた。
 ただあくまでも三人の中での話であって、薫ちゃんの悪戯に(なんとピッタリの漢字だろうか?)嬉々として付き合っていることを見ると、私はこの子をそう呼ぶ自信は無い。

 三宮紫穂ちゃん。
 超度7の接触感応能力者。
 この子が一番わからない。
 一見、一番おとなしそうに見えるのに、時々年齢に似合わない重い一言を口にする。

 これが二週間の付き合いで、私が彼女達に抱いた感想だった。
 彼女達は普通の子供達とは違う存在であった。
 大人が思うほどこの年頃の子供は従順ではないし純粋なだけの存在でもない。
 私もなんでもハイハイと聞くような素直な子供ではなかったし、親戚の子供達を見ても同様である。 
 だけど、それと比べても彼女達の性格はキツ過ぎるように感じられた。
 もっと普通の子らしくしてれば悪評も広まらないはずであろうに。

「普通の子らしくなくて悪かったですね」

 声に振り返ると、いつの間に検査を終えたのか紫穂ちゃんが側に立ち私の手を握っていた。
 読まれているという感覚。
 咄嗟に、その手を私は払いのけていた。
 紫穂ちゃんは、特に顔色を変える様子も無く私の顔を見ている。

「あっ……えっと、そういうことじゃなくてね。
 ほら、急に側に立ってたからビックリしちゃって」

 口から出るのは空回りの言い訳。
 当然だ。私は彼女の思っている、いや感じたことを考えて手を払いのけたのだから。
 それでも何かを言おうとしどろもどろな私の頭に、何か硬いものが軽く当たった。
 振り向くと、そこには宙に浮いた栄養ドリンクの瓶。
 はっとして薫ちゃんの方を見る。

「普通の子らしく?こんな力持ってるんだぜ?」

 ショックだった。
 超能力ではなく、薫ちゃんが浮かべた表情が。
 その表情は、怒りとか悲しみとかじゃなく教師に復習を命じられた生徒のように面倒くさげだった。
 その時、携帯電話がなった。

『急出動要請だヨ。G県で山火事が起きたそうだ。大丈夫だネ』
「はっ、はい。みんな緊急出動要請よ」

 局長の言葉が救いの声に聞こえた。
 だがまた別の心配が生まれる。
 山火事の鎮火。
 そんな現場に自分が行くことは、少なくともこの子達の担当になるまでは想像もしなかった。
 いやなってからも、三人と付き合うことに手一杯で考えたことはなかった。
 そんな私とは対照的に、三人は、特に薫ちゃんは久しぶりに出番が来たと言わんばかりに喜んでいる。

「さっ、行きましょう」

 紫穂ちゃんが私を促す。私は慌てて頷いた。








一瞬、ヘリコプターが揺れたような気がした。

「へへへっ」
「なんや、楽しそうやな」
「今日調子よくてさ。それに二週間ぶりだぜ? 体も鈍ってるしさ」
「私は楽なほうがいいな」

 軽口を交わしながらトランプに興じる三人が特に変わった素振りを見せないところを見ると、私の勘違いなのだろうか。
 私は混乱していた。
 これから行く場所が山火事の現場であること、ヘリコプターに乗るのが初めてなこと、自分が失言したこと、そして薫ちゃんがあんな表情をしたこと。
 私の精神には、それらを整理する余裕などなかったのだ。
 ただその中でも、とりわけ私の心中を乱していたのが薫ちゃんのあの表情だった。
 ある種の諦めを含んだ表情。
 彼女は、いや彼女達は私が思ったようなことを何度も言われてきたのだろうし、感じてきてのだろう。
 ならば彼女達は、世の中を全部諦めてしまっているのだろうか?
 ある程度成長した超能力者ならともかく、まだ思春期も迎えていないこんな子供達が?
 この子たちと同じ年頃の頃、そして今も私は自分が世の中に受け入れられないんじゃないかなんて考えもしなかった。
 特別な力を持った子供達は、その感情もやはり特別なのだろうか?
 そんな思考の海に潜り始めた意識を、紫穂ちゃんの声が呼び覚ました。

「そろそろ、降りたほうがいいんじゃない?」

 紫穂ちゃんの指摘通り、窓の外に杉林から立ち上がる太い煙が確認できる。
 本当に来たんだ、そう思ってゴクリと唾を飲んだ。

「了解。じゃ、行くで」

 紫穂ちゃんの言葉を受けて発せられた葵ちゃんの掛け声。
 その言葉が何を意味するのか把握する冷静さは、私の中にはなかった。

 次の瞬間、全てが変わった。
 一瞬前までは、肌に直接感じることは無かった風。
 視界が何の前触れも無く変わったという違和感。
 浮遊、足場が消えたことへの不安感。
 そして落下する感覚。
 着地。
 同時に私の足首に激痛が走った。 どうやらおかしな形で着地してしまったらしい。

「大丈夫?」

 葵ちゃんの声。
 何が起こったのかようやく認識できた。葵ちゃんがテレポートをしたのだ。
 そう理解したあとも、自分が一瞬にしてまるで違うところに移動してしまったという現実に順応できず、キョロキョロと当たりを見まわす。
 そこは、たしかにさっきまでヘリコプターの中から見下ろしていたはずの場所だった。
 そのことに違和感を拭えないまま、立ち上がろうとする。
 自然な動作を痛んだ足首が阻む。
 紫穂ちゃんが近づいてきて足首にそっと手を触れ、少し目を閉じた後、頷き微笑を浮かべた。

「大丈夫、ただの捻挫よ」
「そ、そう。ありがとう」

 こんなやり取りをしている間に、局長は情報収集を済ましていた。
 付近住民の避難は済んでいること、『ザ・チルドレン』は延焼の阻止をすればいいことを教えられる。

「鈴木君、ESPリミッターの解除を。それから君は下から経過報告を頼む」
「は、はい。ESPリミッター解除。『ザ・チルドレン』解禁」





「しかし、以前にも見たことがありますが……見事なものですな」
「え、ええ」

 私と同じように無線機を持った消防服の男性の言葉からは、額面通りの響きは感じられない。曖昧に愛想笑いでごまかすしかなかった。
 経過報告、といっても私にはすることはほとんどなかった。
 第一、上空からの視点の方がはるかに正確だったし、なにより向こうには紫穂ちゃんもいるのだから。

『北西からの風が強くなるわ』

 無線機越しの紫穂ちゃんの言葉通りに、煙が北西からの風に流れていく。
 紫穂ちゃんの言葉に従って葵ちゃんの力で移動し、薫ちゃんが延焼を防ぐ。
 それが三人の、山火事鎮火のパターンのようだ。

『よ〜し、じゃあいくぜっ』

 薫ちゃんが楽しそうに腕を振る。それに一瞬遅れて木がなぎ倒されていき、轟音が生まれる。
 私は巻き起こった土煙に目を細めながら、三人に見入っていた。
 三人を見ているしかない自分に劣等感を感じることは無かった。
 山火事の鎮火のために使われる圧倒的な力。
 そして、それを使う、年齢を数えるのに両手で足る少女。
 その光景に恐怖という感情を抱いていたのだから。

『んじゃ、最後っ!』

 空の上で薫ちゃんの腕が、一際大きく振られた。
 振るわれた力は腕の振りと同じように、それまでで一番強い力だ。
 そしてなぎ倒される木、巻き起こる轟音、舞い上がる土煙。
 何もかも比較にならない。そして、それまでには無かったものも生まれた。
 強い衝撃波が地表にいた私達を襲ってきた。

「足に力入れろ。踏ん張れっ」

 誰かの怒鳴り声が聞こえた。
 その声に従うまでもなく、足に力を入れようとする。
 しかし捻挫した足に、力をこめられず私は飛ばされてしまった。
 さっきの、葵ちゃんのテレポートの時とは違う浮遊感、そして背中への強い衝撃。
 木に衝突した私は、その場に崩れ落ちた。
 呼吸すら自由にならない。
 そこで私の意識は途切れた。


 それが『ザ・チルドレン』現場運用主任代理としての、私の最初で最後の任務だった。















「おはよう」

 目を覚ますと、そこにあったのは私を覗き込む先輩の顔があった。

「あっ、えっと、おはようございます」

 なぜ先輩がここにいるのだろうと不思議に思いながら体を起こすと、背中に痛みが走った。
 ぼんやりとした意識が鮮明になっていく。
 薄いピンク色の壁の室内は、白いカーテンで仕切られている。
 どうやら、気絶した後BABELの医務室に運ばれたらしい。

「捻挫と打撲だって。よかったね」
「いいわけないでしょう」

 軽い口調の先輩にムッとしたが、たしかにあのときの衝撃を考えれば打撲程度で済んだのは幸運なのかもしれない。
 二言、三言交わしたあと先輩は腰を上げた。

「送ってくから、落ち着いたら駐車場来なさい」

 先輩がいなくなってから、時計の長針がいくつも動かない内に薫ちゃん達が部屋に入ってきた。
 私が起きたことを先輩が知らせていったのだろうか。

「大丈夫なん?」

 最初に口を開いたのは葵ちゃんだった。
 さっきの先輩の言葉を繰り返し、怪我が軽いこと、痛みも酷くないことを告げる。
 それを聞いて、三人ともホッとしたように見えた。
 心配してもらっていたことが嬉しくもあり、意外にも感じられる。
 二人に押されるようにして薫ちゃんが一歩前に出た。

「あのさっ、その」

 それだけ言うと薫ちゃんはポリポリと頭を掻きはじめた。
 その様子はいつもの勝気な彼女らしくない。
 隣に立つ紫穂ちゃんから肘で小突かれて、ようやく口を開く。

「その、ごめん。今日調子よくってさ、だから調子乗っちゃってて下に気を使うの忘れちゃって…あの、これっ」

 そう言い、栄養ドリンクを取り出し私に手渡す。手渡された瓶のラベルには、サソリのプリントがされている。薫ちゃんがいつも愛飲しているものだ。
 瓶から視線を戻すと、薫ちゃんが上目遣いに私の顔を、後ろの二人は心配そうに薫ちゃんと私を見ている。

 その不安そうな視線。

 その時、ヘリコプターの中での疑問に答えが出たような気がした。
 自分の力のせいで、悪気はなかったとはいえ、いや悪気がなかったからこそ私が怪我したと聞いて不安になった。
 だからこんな目をしてるんじゃないのか?
 それは、小さな子供が見せる反応としては当たり前の物で。
 そう、彼女達だって普通の子供なんじゃないだろうか?

「こっちこそ。……私ああいうところ初めてだったから緊張しちゃってて」

 特別な力を持った普通の子供達は、半分涙目になりながら頷いてくれた。











 外はもうすっかり暗くなっていた。
 チルドレン達と別れ足を軽く引きずりながら駐車場に向かうと、言葉通り先輩が待っている。

「さっきは、ああ言ったけど本当に大丈夫?」
「大丈夫ですよ。現場で不注意でした」
「ふーん、ちょっと意外」
「何がですか?」
「いや、チルドレンの愚痴でも言うかなぁと思ってたからさ。意外と仲良くやってるのね。さっ、帰りましょ」






「怪我人飲みに誘うわけにも行かないわね」
「すみませんね」

 会話は信号待ちのときに交わしたそれっきりで止まっていた。
 原因は私のほうにあるのだろう。彼女達について考えて、たぶん辛気臭い顔で俯いていたのだから。

「なあに考えてんの?」
「へっ?」

 急に声を掛けられたので、ビクッと体が振るえた。
 先輩が私の頭を軽く叩いて続ける。

「一人でグダグダ考えてても悪いほうにしかいかないでしょ。お姉さんが相談乗ってあげるから話してごらん?
 まっ、今日のタクシー代と合わせて高い貸しだけどね」

 少し笑った後、先輩に甘えることにした。

「……先輩は、エスパーの知り合いいます?」
「仕事絡みじゃなくて? うーん、どうだったかな…ああ、一人いたわね。小学生の時の同級生。まぁ、実際は言わないだけでもっといたかもね」

 低レベルの超能力者は、段段と成長するにつれて自分が超能力者であることを進んで口にしなくなる。

「その、どうでした?」
「どうって……普通だったわよ。特別に仲良しだったわけでもないけどね。
 大体小さい頃はそういうことあんまり気にしなかったし」

 私はどうだっただろう。もしかしたら、テレビのヒーローみたいで格好良いぐらいに思ってたかもしれない。

「あの子達は、薫ちゃんたちは……どうですか?」

 先輩はしばらく答えなかった。答えが見つからないというよりは、適当な言葉を探しているように見える。
 言った私にしたって明確な意図のある質問ではない。ただ、誰かの声を聞きたかったのだ。
 沈黙の車内にカーラジオのニュースが流れる。

『逮捕された男は、超能力者排斥団体・普通の人々の一員と見られ……』

 ニュースは超能力者が襲われたこと、そして襲った男が『普通の人々』の一員であったことを告げている。今の私には重いニュースだ。
 そのニュースを切っ掛けに、先輩は口を開いた。

「こういう連中のことどう思う? 単純に言って善人か悪人、どっちだと思う?」
「悪人だと思いますけど」

 質問で返されたことがちょっと意外にだったが、即答できた。
 心情的にも法律的にもそう答えるのが当然のことに思える。

「うん、そうね。連中が本当に普通の人ならこんなことしないわよね。
 普通の人なら、超能力者をどう思ってようと暴力を振るったりはしない、そうしないと我慢できないぐらい心の容量狭くはないもの。
 でもね、この連中が言ってる、超能力者は人知を超えた危険な存在だっていう言葉、百パーセント否定できる?」

 今度は答えることが出来なかった。

 あの時、能力を使う彼女達をどう思っていた?
 ちょっと生意気なだけの天使だとでも?

 再び車内に沈黙の霧が降りる。
 しかし、今度の先輩の沈黙はさっきよりもずっと短かった。

「私もね、例えば超能力者と飲むとしても、まぁそれなりに楽しくやれると思うの。
 私だって勿論、『普通の人々』みたいな人間じゃないし、超能力者にしても見境無く能力は使わないでしょうし。
 そういう意味では、超能力者だからどうこうってのはあんまりないわね、超度二ぐらいのそんなに高いレベルの能力者じゃなければ」
「低いレベルの超能力者なら?」
「好きとか嫌いとかじゃなく、あの三人とかBABELで特務エスパーやってるぐらいの子達になると……怖いわね」

 先輩の言葉を、非難する気はなかった。
 いや、私にはその資格はなかった。

「それでも、自己弁護かもしれないけど、私達みたいな組織は必要だと思うわ。
 良かれ悪かれあの子達には超能力者だってことがついて回るんだもの、ウチの局長さんがいつも言ってるようにあの子達の力を肯定して、なおかつ必要としている場所はないとね。
 黒巻だっけ? BABELを抜けたあの子みたいに、私達のことをうざったく感じる子もいるにしてもね」

 ハンドルを持つ手で、トントンとハンドルを叩きながら自分に言い聞かせるようにそう言った。

「さて、ここからは後輩思いの先輩としての忠告だけどね。
 アンタ後任者が見つかったらすぐ代わってもらいなさい。
 中途半端に情を移すのはやめなさい。あの子たちはこれからも成長していく、それに耐えられる?
 耐えられないなら……お互いの為にならないわよ。
 って、BABEL職員が言うことじゃないわね。さっ、着いたわよ」

 先輩の言葉通り、窓の外はBABELの寮だった。





 先輩にお礼を言い、部屋に戻ってベッドに潜りこんだ後もすぐには眠れなかった。
 彼女達も普通の子供かもしれないという安心、昼間見た特別な力への恐怖。
 直接的ではないけど、仕事柄超能力者は何人も知っている。
 私の中で彼らは特別な存在ではあったが、恐怖は抱いていなかった。
 その能力を全開にすることは見たことはなかったのだから。
 心中は落ち着かず、思考もまとまらない。
 その日、眠りに落ちたのはいつもより大分遅い時間になったからだった。







 翌日、私は局長室に呼び出された。
 彼女達の担当になってから打ち合わせのために呼び出されることも多く、この時もそうだと思っていた。
 しかし、局長の口から出たのは打ち合わせのための言葉ではなかった。

「後任者が決まってね、二週間お疲れ様だったネ」

 聞いた瞬間、薫ちゃんの不安そうな視線と、昨日の現場で感じた恐怖がフラッシュバックする。
 安心と恐怖。
 真逆な二つの言葉に占められる心に一つの言葉が浮かんでくる。

 ――このまま続けさせてもらうわけにはいかないでしょうか?

 言えばどうなるだろうか?
 局長はその言葉を認めてくれるだろうか?
 チルドレン達は受け入れてくれるだろうか?
 私はチルドレン達に……

 数回の呼吸の後、私はその言葉を飲み込み、全く違う言葉を口にした。

「了解しました」
「さすがに今日からというわけにはいかないから、明日か明後日からになると思うヨ」

 続けて打ち合わせを済ませ、部屋を出掛ける。
 足が止まった。このままでいいのだろうかと。

「あの……一週間だけ続けさせてもらうわけにはいかないでしょうか?」

 ちゃんとお別れをなんて言う気はなかった。せめて彼女達に自分たちが怪我させたから辞めてしまったのだとは思わせたくなかった。
 局長はしばらく黙ったあと、頷いてくれた。

「わかった、皆本君には……後任者にはそう伝えておくよ」
「ありがとうございます」

 私は頭を下げ、そして扉を閉ざした。
























 彼女達の乗った車とすれ違った後、私は駅までの道を歩いていた。
 天気も良かったし、なにより気持ちを落ち着けたかったから。
 いつもはバスの窓越しに見る風景も、視線を変えてみると新鮮に見える。

 局長室で後任者が見つかったと告げられてからの一週間。
 私は彼女達と少なくともいままでのように接することができたと思う。
 幸いなことに携帯電話は鳴らず、出動はなかった。

 横にすれ違った車の一台が路肩に止まった。
 何気なしに横目で見ると、車から見覚えのある顔が出てきた。

「紫穂ちゃん……」






「そっか今日で転属なんだ」
「うん。そういえば今日は二人と一緒じゃなかったのね。お父さんの手伝い?」

 こくりと頷く。
 二人で座った公園のベンチは、太陽の光を吸って温かかった。

「そういえば引継ぎのとき一回あったんだけど、皆本さんってどんな人?」

 優しげな線の細い学者然とした青年。それが皆本光一から受けた印象だった。

「良い人よ。普通に接してくれる特別な人」
「そっか、良い人なんだ」

 紫穂ちゃんは嬉しそうな笑顔にホッとする。
 半年経っても担当を辞めない彼に、ロリコンだ、第二の谷崎だという悪評が局内でまことしやかに囁かれていただけに余計に。

「あっ、後ああ見えてもの凄く頑丈。だから薫ちゃんも遠慮無くやってるわ。
 私達ね、鈴木さんのことも嫌いじゃ無かったよ」

「そう、ありがとう。私も……」

 そこで言葉を止めた。
 綺麗な言葉だけでごまかすのは汚いことに思えた。

「どうしたの?」

 首を傾げる紫穂ちゃんの目の前に手を差し出す。
 一瞬の戸惑いの後、紫穂ちゃんはおずおずと口を開く。

「いいの?」

 俯き頷く。
 指を少し冷たい紫穂ちゃんの手が掴んだ。

 鳥の鳴く声、車の音、子供達の遊ぶ声、木の葉が風に揺れる音。

 全ての音が遠くに聞こえた。


 手はいつの間にか離れていた。
 二人ともしばらく何も喋らなかった。

「そっか……しょうがないよね」

「ごめんね……ごめんね」

 顔を上げずに繰り返した。
 もう一度謝ろうと顔を上げる。
 紫穂ちゃんは笑っていた。
 無理しなくていいんだよって言う風に、たぶん無理して笑ってくれていた。

 さっき流したはずの涙がもう一度流れた。




 紫穂ちゃんがポケットからハンカチを取り出して涙を拭いてくれた。

「あっ?」
「えっ?」
「ハンカチにも入ってる」

 見るとハンカチにはBABELのマークが入っていた。
 紫穂ちゃんは笑っていた。
 私も釣られて笑った。

 そして私達は笑って別れた。
 ちゃんとしたお別れかどうかは分からないけど、笑って別れることが出来た。

 おしまい