見上げれば、どこまでも青い空。視線を下げれば空より少し濃い青色の海、そして白い砂浜。
 そこは夏の海でした。
 白い砂浜に、ポツリと赤いパラソルが一本立っています。
 そのパラソルの影の中には、人が二人。
 女の子と、男の人でした。

「情報には感謝するわ」

 喋ったのは女の子。細くて高い、そして感謝という単語には程遠い不機嫌そうな声でしたが、それを聞いた男の人は女の子の声の調子に特別驚いた様子はありません。それどころか、心持ち胸を張って女の子より太く低い声で応えました。

「おお、感謝しろ」
「見事に誰もいなくて、空いてるわね」

 女の子の言葉どおり、その砂浜には女の子と男の人、そして女の子の連れで海で遊んでいる二人をのぞけば誰もいません。男の人いわく、自分だけが知っている秘密のビーチなのです。
 
「空いてるだろ。人嫌いなお前も大喜びだ」

 人嫌いと呼ばれた女の子は、相変わらず不機嫌でした。

「余計なお世話」
「そら、失礼」
「そんなことはどうでもいいわ。まぁ、感謝はしてあげるとして」

 そこで女の子は一度言葉を区切り、ため息を一つ。
 そして心底イヤそうにこう言いました。

「何で貴方まで付いてきてるのかしら?」
「皆本に急な仕事が入ったからだろう。新しいECCMの開発だとか、なんだとかで」

 「働きすぎだなアイツは」と付け足し、男は笑いました。
 皆本と呼ばれた男がいないことにいっそう不機嫌になったなのか、女の子が捲くし立てます。

「それはいいわよ。いや、よくないけど、仕事なら仕方ないわ。その程度の分別はあるもの。問題にしてるのは、貴方が付いてきてることが……繰り返させないでくれません? 賢木センセイ」

 賢木センセイと呼ばれた男は、クーラーボックスから自分には缶ビールを、次いでオレンジジュースを取り出して、
 
「君達が保護者が必要な小学生だからじゃないか? 三宮紫穂ちゃん」

 紫穂ちゃんに渡しました。
 紫穂ちゃんは受け取り、タブを上げるとやっぱり不機嫌に口を開きました。

「……それはそれは。お心遣い感謝しますわ。一昨日はここに女の人と来る予定だったけど、ダブルブッキングやらかしてオジャンになった賢木センセイ」
「……人の心を勝手に読まないで欲しいな、五歳のときに裸足で砂浜飛び出して大泣きした三宮紫穂ちゃん」

 両方、毒々しい口調でした。
 後攻めだった賢木センセイが、別に勝ったわけではないのですが勝ち誇った表情でビールを煽ります。 
 ブスッとした表情でオレンジジュースを飲んでいた紫穂ちゃんが言い返します。

「ムキになってやりかえすなんて、そっちだって子供じゃない」
「ああ、まだ子供だからな。大人の階段を上らせてくれる素敵な出会いを求めてるのさ」

 そこで、大げさに体を引いて口に手をあてました。

「……まさか、まだ――」

 賢木センセイがビールを噴出しました。汚いわねと、紫穂ちゃんが楽しそうにイヤがります。

「馬鹿か、お前は」
「だって成功してるところ見たことないわよ」
「子供の目の前で本気だすかよ」

 賢木センセイはしかめ面でビールをゴクリと飲み干しました。

「ふーん」
「読んでみるか?」 
「いや。気持ち悪い」

 ビールを持ち替えて差し出した賢木センセイの右手に、紫穂ちゃんは首を横に振りました。

「さよか。ところで、お前も遊んできたらどうだ」
「まぁ、そのうち」

 少しの間、二人は手に持った飲み物をチビチビと飲んで黙っていました。
 ゆっくりと雲が流れて、砂浜には遊んでいる二人の嬌声だけが響く時間が続きました。
 太陽が流れていく雲に何度か見え隠れして、缶がだいぶ軽くなったころ、賢木センセイが口を開きました。

「俺の前でバカみたいにはしゃぎたくないってか?」

 突然の賢木センセイの言葉に、遊んでいる二人を見ていた紫穂ちゃんが驚いて振り向き、そして賢木センセイをにらみました。

「……いつの間に読んだのよ?」
「子供が考えてることぐらい分かるよ、読まなくとも」

 賢木センセイの答えに、カマをかけられた紫穂ちゃんはプイッと顔をそむけました。

「まぁ、そういう見栄をはるあたり子供だな」

 賢木センセイは、笑いながらでしたがどこか懐かしむような口調でした。

「からかいやしねーよ。第一な――」

 そこで一旦言葉を区切り、立ち上がってパラソルを引っこ抜きました。

「バカになるところでバカになれないのもバカだぞ」

 不機嫌に賢木の顔を見上げ、そして恨めしそうに太陽に顔をしかめ、そしてバカみたいに騒ぐ二人の女の子を見て、諦めたようにため息をつきました。
 少し残ったオレンジジュースを飲み干して、立ちあがります。

「まぁ、汗もかいてきたしね」
「風呂場じゃあるまいし」

 フンッと鼻を鳴らし賢木に向かって舌を出すと、軽く足を上げビーチサンダルを脱ぎました。
 が、足を下ろしたそこは、よく太陽の熱を吸収した砂浜でした。

「あっっ……ひぎゃっ!?」

 紫穂ちゃんは驚き叫ぼうとし、そして舌をかみました。
 足の裏と舌の痛みに悶絶する踏んだり蹴ったりな紫穂ちゃんを見ながら賢木センセイは、

「いい土産話ができた」

 と大笑い、紫穂ちゃんから逃げ出すように海へと駆け出しました。
 紫穂ちゃんもそれを追うように、今度はゆっくりとそして何度か砂に足を着け、慣らしてから駆け出しました。




 その日、誰もいないはずの砂浜ではバカが四人騒いでいました。
 どの顔も、不機嫌そうではありませんでした。


 おしまい