鬼道政樹は日曜日になると決まって”ゆううつ”になる。
子供のころ父親に一日中修行をさせられた苦い思い出があるにせよ、休みの日が嫌いなわけではない。その”ゆううつ”の原因は――テーブルの上の携帯電話がヴヴヴッと震えた。携帯電話を手に取り、掛けてきたのがいつも通りの相手であることを確認すると、ため息をもらした。
「はい、鬼道です」
「あっ、ま〜くん?」
ゆっくりとした声。とはいっても、落ちついている、というよりは間延びした、という印象である。
「……そうやけど、というか僕の携帯に電話してるんやから当然やろ」
「そ〜いえばそ〜ね〜、それで今日はどこにあそびにいきましょうか〜?」
これである。毎週日曜日午前十一時ごろにかかってくる、六道冥子からのお誘いの電話。それが鬼道政樹の”ゆううつ”の種なのであった。
「……なんで?」
「へっ?」
「なんで毎週日曜日僕は君と出かけなあかんのや?」
「……マ〜くん冥子のことキライなの〜?」
電話の向こうで涙目になっていることが容易に想像できる声だった。
「い、いや別にそういうやけやないけども……」
「じゃあ、どこにいく〜?」
有無を言わせぬ嬉しそうな、ほんとうに嬉しそうな声である。”まぁ、理事長との関係もあるし、しゃあないな”と自分を納得させると返事をした。
「……遊園地はこないだ行ったから、動物園でいいか?」
「動物園?楽しそうね〜」
「じゃあ一時に極楽動物園の前で」
「うん、わかった〜」
電話を切るとため息を一つつき仕度をはじめた。
約束の十分ほど前に到着した鬼道は動物園のすぐ前のベンチに缶コーヒー片手に腰掛けていた。周りの客はほとんどが親子連れであり、自分の存在が場違いに感じられた。
「ボクはなんでこんなとこにいるんやろ?」
”六道女学院に勤めてるからやろか?単に頼みごとを断れなかったからやろか? それとも……”
「あ〜、マーくん〜」
ふと顔をあげると、そこには手をふりながらこちらに歩いてくる冥子が見えた。腕時計を見ると約束の時間より二十分ほど遅れていたが、いつものことを考えれば早いくらいである。
軽く手をあげ冥子のほうへと近寄っていくと、前もって買っておいた入場券を渡し、残っていたコーヒーを一気に飲み干した。
「冥子はーん、どこにおるんや?…やっぱり呼び出し頼んだほうがええんやろか、猿の檻の前で待ってろ言うたのに」
極楽動物園、巨大とはいえないまでも狭いというには程遠い広さを持っている。
その動物園の敷地内をあらかた探し回った鬼道は、探し回った汗以上に冷や汗をかいていた。
つい30分ほど前、飲み物を買いに売店に向かった鬼道は、冥子を待たせていた猿の檻の前に戻ってきたとき自らを呪った。
こうなることは予想はできてたのに。
やっぱりジュースなんて買いにいくんやなかったな、両手に持ったオレンジジュースがうとましく思えた。
”まったく大の大人が迷子やなんて、この先一生こうなんやろか……んっ? なんでボクは一生なんて心配してるんやろ”
「鬼道先生」
聞き覚えのある声だった。思考の世界に入りかけていた鬼道はビクッと体を震わせ、声のしたほうに顔を向けた。
そこには、顔見知りの美神令子、そして六道女学院の教え子である氷室キヌがいた。
「氷室、お前こんなところでどないしたんや」
「除霊しにきたのよ、アンタこそなんでこんなところにいるのよ」
キヌではなく横から美神が答える。と同時にニヤニヤと笑い出す。
「あっ、もしかして冥子とデートとか」
「ち、違うわ。単に君が断ったせいでボクにお鉢がまわってきただけの話や」
「へっ?ここ最近冥子からお誘いの電話なんてかかってこないわよ」
「それは…どういうことや?」
「どういうことって……そういうことじゃないの?」
さらにニヤニヤとしながら美神。隣にいるおキヌも「そうなんですか?」と興味深そうな顔をしている。何とか反論を試みようとしているとキャーという悲鳴に似た声が耳に入ってきた。もしやと思い振り返ると、案の定騒ぎの中心には、額の一角が特徴的な式神・インダラに乗った冥子が明らかにパニクりながら自分のことを探していた。
「……さっさと止めてきなさいよ」
「君も一緒に来てくれへんか?」
「駄目、除霊があるから」
「そんなこと言わんと…」
「いや。ほら、さっさと行かないと暴走しちゃうわよ。さっ、行きましょ」
そういい残し、美神はキヌを連れて立ち去ってました。鬼道が呆然と彼女たちが去るのを見送る間にも騒ぎは拡大していき冥子の精神力も限界に近づいていく。しょうがないという風にため息をつくと一度だけ美神たちが去っていったほうを恨めしげに見ると騒ぎの真っ只中に駆けて行った、全力で。
「まったく、あれほど騒ぎになるから人前で式神を使っちゃ駄目と言うたやないか」
「ごめんなさい〜」
なんとか冥子を落ち着かせると、周りに謝り逃げるように休憩所のベンチに移動していた。それでも実害がなかっただけマシというべきなのだろう、水族館に行ったときはあやうく展示ガラスを割ってしまうところだったのだから。
「だいたい動くな言うたのになんで動いたんや」
「これ、マ〜くんにと思って〜」
と、手にもっていた包みを差し出す
「これ、ボクに?」
思わず自分を指差し尋ねる。冥子はそれに頷き答える。頭をちょっと押さえ”なんなんやろな、この子は”手をポンッと俯いていた冥子の頭に乗せる。顔をあげた冥子に微笑む。
「で、次はどこいく?」
夕暮れ時、出口は家路を急ぐ人々で混雑していた。その群れの中には鬼道と冥子も含まれていた。
「今日は、ホントに楽しかったわ〜」
「そうか、でもホントにこういうところで式神出したらあかんで」
「うん、わかった〜」
楽しそうに今日見た動物の感想を話す冥子と並んで歩いてくと、道路の脇に場違いな黒い高級車が止まっていた。冥子を迎えに来たらしく、冥子もそれに気づいたらしく運転手に向かって手を降った。
「じゃあ、ここまでやな」
「うん、また来週ね〜」
「あっ、これありがとうな」
冥子から貰った包みをあげ礼を言う。冥子はほんとうに嬉しそうに笑い、もう一度「またね」と言うと車に乗り込んだ。
冥子を見送ると鬼道は、包みを小脇に抱え、少し重い足取りで駅に向かう人の流れの中に戻っていった。
日曜日の夕方、ちょうど冥子と別れるこの時間。鬼道政樹は、一週間のうちでいちばん”ゆううつ”になる。
おわり