「ヤン」は「デレ」を既に含んでいる。  その子とは、小学校以来の知り合いだ。  一般的には「幼馴染」や「友人」と表現してよい仲ではあるのに、何故かわたしは彼女を「知り合い」としか表現できない。  多分、わたしが彼女を理解できてないからだと思う。  彼女は、基本的に、大人しい。無口である。クラスでは存在感がない。代わりというのもヘンだけど、わたしがよく喋る。わたしのお喋りの合間合間に、「うん」とか「そう」とか「へえ」とかという合いの手を、彼女は返すだけだ。  だけど、喋る時は喋る。  文化祭の打ち合わせの時など、それまで全く興味を示していなかったのに、いきなり議論に参加し、クラスメイトを論破していった。論破などと言えたものじゃない。わけのわからない理屈を振り回して、周りを混乱させている。  文化祭など、適当にやるのがマナーだと思っているわたしは、そんな彼女の行動をとても不快に感じていた。さっきまで全然興味なさそうにしてたじゃない。だけど、まるで文化祭に命を懸けているかのような彼女の剣幕を見ていると、興味なさそうに見えたのはわたしの思いこみにすぎなかったように思えてくる。  彼女の演説が終わり、教室の空気がこれ以上ないってほどシラけている中、わたしは彼女に耳打ちする。 「気合い入ってんねー」  いつものコミュニケーション。いつもの冗談の類。いつものように合いの手を返してくれればよかった。  だけど彼女は、眉間にシワを寄せて、わたしにこう言い放った。 「あなた、おかしいと思わないの?」  何がおかしいかすらわからなかった。そもそもどんな打ち合わせをしていたのかすらよくわからない。興味ないのはわたしだった。そんなわたしにとっては、むしろあなたが熱心に喋っていた状況の方が、おかしい。  彼女は、とても汚らわしいものを見るような目つきで、どこか怯えているような目つきで、わたしを見下した。  彼女はそれきり何も言わなかった。多分、他の子を論破したように、わたしにそのわけのわからない理屈を投げつけたかったのだと思う。でもわたしは、表向き彼女の「幼馴染」だから、見逃してくれたのだろう。  こんなことがあるから、わたしは彼女を「友人」と呼べない。  わたしは彼女の幻影しか見えていない。  そう思うと、彼女に限らないことに気づく。  クラスメイト、先生、親、わたしは彼らの何一つわかっていない。  他のクラスメイトとは、幻影同士が噛み合っている。相手がどう言って欲しいのかがわかるし、わたしはそれに従うし、わたしがどう言って欲しいかに従って、相手は喋る。わたしたちは、常に王様ゲームをしている。王様ゲームをしている間は、お互いが幻影であることに気づけない。気づかなくてもいい。  この王国に、彼女はいない。幻影は確かにここにあるけれど、それは幻影だ。だから、わたしたちも幻影であることに気づいてしまう。  幻影の王国では、「友人」と呼ばれている関係なのに。     ●  7月2日(水)の夢  カエルの卵。  でも透き通っていない。水に浮かんだ油のような色。まだらな金属色。どちらかというと、そういうビー玉。固まりきっていないビー玉。完全な球体ではなく、いびつな形でくっついている。でも大体球体。  周りはどろっとした汚水。黒い。濃緑。環境破壊しまくる工場の排水口のような。  カエルの卵に、髪の毛が纏わりついている。何本も何本も。汚水に濡れているので、血管のようにも見える。不健康な血管。どす黒い血管。  一部の卵が孵っている。細い手足が生まれている。五体満足ではなく、一つの卵に手だけ、足だけ、胴体だけ、といったような形で。何本もの手足。いくつもの胴体。頭はない。  私の体だった。だけど、痛くない。痛くないことが、とても卑怯に思えた。  私の正義は、正義じゃないらしい。  私の見ている世界は、彼らが見ている世界じゃないらしい。  薄々わかってはいたけれど。  頭が痛い。割れそうに痛い。脳が脈打っているのがわかる。脈打つたびに、髪の毛一本一本が針になったかのように、痛い。痛いイタイイタイ。違う。鈍痛でもある。脳の中心、鼻の穴のずっと奥の方に、鈍痛がある。これが震源地。シャーペンは太すぎる。お箸。お箸を持ってきた。鼻の穴に突っこんで、鈍痛部分を突き刺したかった。でもできなかった。バカなことだとわかっている。私はまだ正気でいる。  昨日も鼻血を出した。脳が、鈍痛部分が破裂してくれたのかと思った。でも違ったらしい。破裂してくれれば、痛みなんて感じないだろうに。  鼻血と涙の区別がつかない。  今私の顔を流れている液体は、  何?     ●  彼女は、運動神経がとても鈍い。太っているわけでもないし細身というほどでもないし、見た感じそんな風には思えない。でも、体育教師も諦めているくらい、鈍臭い。  よく転ぶ。よく物を落とす。昨日もビーカーを割った。運動神経というより、注意力が足りないだけのように思えるけど、成績は良かった。学年で二十位から落ちたことがないと思う。ノートもきちんと取っている。几帳面に書かれていて、とても見やすい。試験前にはそのコピーがみんなの手に渡る。わたしももらう。  試験前じゃなくても、よくノートを借りる。「知り合い」の特権だ。その時は日本史のノートだった。終わりの方のページに妙なものが描かれていた。奇妙な図形。筆で書いたような文字。でもシャーペンで書かれている。筆で書かれたような形の輪郭を描き、中を塗りつぶしている。日本語じゃない。英語でもない。でもどこかで見たことがあると思った。後で調べて、梵字だとわかった。オカルト系のマンガでよく書かれてたりする奴。でも多分梵字じゃない。梵字のような形をしているけど、少し違う。梵字と漢字の中間のような。多分、彼女のオリジナル文字だろう。  それが、びっしりとページ一面に書き込まれていた。全部違う形をしていた。  あまりにも気持ち悪かったので、何も聞かずにノートを返した。  朝、駅の階段を降りると、彼女がいる。  高校に入ってから、ずっとこうやって登校している。正直うざい。だけど律儀に待っていてくれる彼女を見ると何も言えなくなる。寝坊しなくなったし、まあ仕方ないか、くらいに思っている。  その日、彼女は頭に白いネットを被っていた。おでこにガーゼが貼ってある。また転んだらしい。階段とかなんにもないのにほんとよく転ぶから、気をつけて欲しい。「知り合い」の身にもなってくれ。いつも頭から転ぶらしく、彼女のそういう姿には慣れつつもあった。だけどいつもより傷は大きいようだ。ガーゼが大きい。 「一応女の子なんだからさー」  と機械的に決まり文句を言うと、それはひどく虚しく響いた。  わたしもとやかく言える立場ではないが、彼女には女の子という自覚があまりない。中学生の頃なんか、髪の毛ぼさぼさで学校に来ていた。さすがのわたしも注意して、他にも誰かから何か言われたのかもしれない、今では大分マシになった。マシになったと言っても、およそファッションと名のつくものにはほとんど関心を示さない。  クラスメイトとは、この女という自覚が、王様ゲームの参加資格になっている気がする。彼女と付き合っているとそう思えてくる。同じ女という幻影でいるから、話が噛み合うのだ。  彼女は元々体が弱い。小学生の頃はよく学校を休んでいた。だけど中学に入ってからは、むしろ皆勤賞をもらうくらいだった。  中間試験の終わった翌日、彼女が珍しく学校を休んだ。熱を出したそうだ。今さらお見舞いに行くような仲でもない、と思ったので行かなかった。とても都合のいい考え方だった。彼女と関わっていると、自分がとてもイヤな人間に思えてくる。  彼女のいない学校に二日もいると、彼女とまた会うのがとても重荷に思えた。彼女さえいなければ、わたしは幻影の王国で楽に生きられるのだ。  朝、いつものようにモスバーガーの前でわたしを待つ彼女。  今日は怪我してないようだ。安心する。安心している? そう、安心している。何に安心しているのだろう?  わたしは、彼女に怯えている。怯えているから、いつも寝坊しないで済む。怯えていたから、彼女のいない教室で奇妙な解放感を覚えた。  なのに、安心している。  怯えている自分に安心している、のか。  そこにあるのが幻影だと気づかされたわたしは、自分すら幻影であることを知ってしまった。  わたしは、わたしがわからなくなりそうだった。     ●  7月6日(日)の夢  こんな痛みが一生続くくらいなら、この痛みの中に座りこんでしまいたい。  自分で何言っているのかわからない。ただ単にそう思った。私はおかしくなり始めているのかもしれない。おかしいと思える。そんな理屈はないと思える。大丈夫。  ガンと闘って、死んでいった女性歌手の特番を見た。彼女もそう思っただろうか。違う。彼女はガンだ。ちゃんとした病気だ。おかしくなるわけがない。大丈夫。  効かない薬をもらってきた。効くと思って飲んだ方がいいに決まっているのに、効かないのはわかっている。医者すら、薬すら、私に死ねと言っているような気がする。  ビーカーの中に、色とりどりの釣り針が入っている。無数に。持ち上げてみる。意外と重い。振ってみる。音は鳴らない。鳴らないのが正しいのか、鳴るのが正しいのか、よくわからなかった。  先生が、水槽の中をすくった網を持ってきた。網の中には、小指ほどの大きさの赤ん坊が、ぴちぴち跳ねていた。何匹も。  このぐらいの胎児は、もっと怪物のような形をしているはずなのに、きちんと赤ん坊の形をしていた。教科書はやっぱりあてにならないなあ、とぼんやり思った。  私は網の中の赤ん坊を、釣り針がつまったビーカーの中に入れた。無造作に。何匹か外に漏れた。漏れた方がよかったかもしれない。ビーカーの中の赤ん坊は、ぴちぴち跳ねた。跳ねるたび、釣り針が刺さっていった。釣り針にはカエシがついているので、抜けない。でも跳ねる。赤ん坊から、濁った琥珀色の体液が流れる。体液がビーカーの底に溜まる。底に溜まった体液には、白い粒々が混ざっていた。目玉だろうか。それとも何かのミスだろうか。私は実験でよくミスをする。怒られるかなと思って先生を見た。先生は掃除用ロッカーの中でしくしく泣いていた。先生の子供だったかもしれなかった。それでミスをしてしまったのなら、とても悪いことをした。やり直さなければ、と思う。  無数の釣り針が生えたすべり台。私は頂上で、子供たちを突き落としている。子供たちは血を流さなかった。子供たちはガラスでできていた。だから、釣り針で血を流さなくても、地面についた途端、砕けた。  病院に、柳葉敏郎が来ていた。テレビで見るより太っていた。夢か現実かわからなかった。  頭を机に打ちつけているところを、母に見られた。母は怒った。薬がもらえなくなると思った。効かないと思っているのに、薬を欲しがっていた。夢の中の私は、いつも卑怯で残忍で小心だ。  こんな痛みが一生続くくらいなら、と思って、頭を打ちつけていた。  顔に、何かの液体が流れていた。  母に泣きながら謝った。  本当に謝っていたけど、顔に流れているのは本当に涙なのかわからなかった。     ●  7月16日(水)の夢  ここ数日、若干調子がいい。エアコンの効きもいい。フィルター洗ったの私だけど。  毎日ブログ更新していることからもそれがわかる。数少ない読者のためにがんばるぞー。って何を? 頭おかしい人の日記を? 笑われるために? 数少ない読者たちは私を笑いに来ているのか。納得。  いいんだ。それでいい。私はあなたたちにこの苦痛を伝染させたがっているのだから。笑っているうちはまだ予防できているってこと。その方が私もいい。  でも、伝染させたい。でも、書いてしまう。  私の苦痛をわかって、という話じゃない。「わかってる」とか言われても私は「わかってない」と反論するだろう。当然じゃないか。これは私の苦痛なんだから。  口先だけでそんなこと言われるより、まだ笑ってくれた方がいい。  文字を書いていると少しは調子がいいってのは、前にも書いたっけ。その時は手書きの話だったけれど、パソコンでもOKらしい。  胸か胃かどこかわからないけど、いつもムカムカしているそれが、ちょっとだけ楽になる。頭痛にはあまり効かないっぽい。今飲んでる薬とどっこいどっこいだねー。そう言えばこないだODブログ(?)からトラバ来てたけど私そっちには興味ないので。そういうの期待してる人はさっさとブラウザ閉じてください。  ああ、なんか友だちの口調そっくりだよ。よく喋る友だち。どっかで書いたね、小学校から一緒の。  私は彼女に嫌われているかもしれない。  嫌われても仕方ない気がする。嫌われてもいいから、その子とは一緒にいたい。自分勝手な理由で。何故かわからないけれど、頭痛や胸ヤケが、少しだけマシになるから。  私は彼女の人格なんてどうでもいいのだ。私にとって彼女はただの薬。今のところ一番マシな薬。だから、嫌われても一緒にいる。嫌われているとか、正直関係ない。  だけど、彼女は私を嫌っているかもしれない。ただの腐れ縁で相手してもらってるだけ。  私を嫌っている彼女は、クラスで人気者。人気者っていうか、アネゴ? おかみさん?  だから、嫌われても仕方ない。私を嫌うことで、彼女はアネゴでいられる。  まあ夢日記という本来の目的がなくなりつつありますが、どうか末長くよろしくお願いします。数少ない読者様。  だあって夢か現実かわからないんだもん。  ほんとに。  だから他の人には話せない。もちろんアネゴにも話せない。このブログだけ。  こんなん話したら、薬が離れてっちゃうじゃん。     ●  7月17日(木)の夢  学校から帰ると、気を失った。夜、母が帰ってきて、起こされた。寝てただけ?  下手に調子がいいと、調子の悪い時が、とても怖くなる。いつ来るかびくびくしてしまう。凹む。  夏休みが近いこともあって、教室がうるさい。耳から入ってきた雑音は、ガラスの破片になって、脳の血管を流れる。血管を突き破る。  私は身を固くする。  気がついたら、気を失っていた。……変な言い方。  母が髪型を変えた。メドゥーサになっていた。髪の蛇はヘドロを吐いていた。とても臭かった。  髪の下は、金網になっていた。金網が、蛇のカツラを被っていた。  金網はとても鋭そうだった。  金網が私に触れようとした。私は逃げた。  友だちが私に触れた。私の皮膚は裂けた。  血の代わりに、涙が出そうになった。ヘドロの涙。だから泣かなかった。  痛い。  ガラスの破片が残っている。頭を体を駆け巡っている。  もういやだ。  助けて。助けられないのは知ってる。だけど助けて。  あなたは、助けられますか? 助けられないでしょう? 知ってる。だから助けなくていい。  だけど、助けて。  友だちなんかいらない。私は薬が欲しいだけ。なんて自分勝手なんだろう。  耳から血が出てた。涙の代わりだろうか。鼻血ってことにした。鼻血ならよく出すし。  昨日のコメントに返信。 「泣けばいいよ、思いっきり」  鼻血でもいいですか? 耳血らしいけど。  生理も来ない。もう半年以上止まってる。  耳血が経血。  んなアホな。  おk、まだ大丈夫。  でも明日は終業式。  どれだけの破片が、脳に埋めこまれるのだろう。  凹む。  気を紛らわすため、いろいろなことを考えてる。いろいろな計画を立てている。  夏休みだし。     ●  某テクノバンドのライブチケットがあまったので、むかつく男友だちを誘った。シャレ半分だったのに意識しているのがわかる。すげえ面白い。女子連中に若干脚色して報告した。そこそこウケた。  自分が幻影だと気づいてから、他人の本音っていうか、素の顔が微妙にわかるようになった。幻影じゃない部分。女の子は大体どろどろしている。うん。わかる。わたしもどろどろしている。一応、仮に、とりあえず、応急処置として、「うえーキモイー」とか「それチョーカワイー」とか「キモカワ(笑)」とか言ってみて、どろどろを固定する。固定されたどろどろが、幻影だ。でも所詮応急処置だから、大概前言を撤回する。え? 何? それって卑怯なことなの? 男って単純すぎる。何歳までロボットアニメの主人公でいるつもりだ。  どろどろの向こうには、何もない。多分。  それもわかってきた。彼女を観察し続けて早八年(そんなになるのか)。幻影もどろどろも少ない彼女には、実体がない。  幻影と、半実体(どろどろ部分)と、実体という三層構造。いや、最後はないんだから、二層構造になるのか。男の子はこの半実体部分が少ない。だからちょっといつもの調子を狂わせたら、あっさり素の顔をさらけ出す。ほんとアニメの主人公。あーおもろかった。  まあわたしもヘンに意識しちゃってたけどね。もちろんこのことは女子連中には言わなかった。  このどろどろ部分の自覚が、王様ゲームの参加条件なんだな。自覚ってヘンか。わたしは自覚してなかったんだから。言葉にできない自覚? なんか陳腐なフレーズ。  終業式が終わると、王様ゲームが過熱する。夏休みという幻影。幻影だから、永遠だ。ある時は幻影に従って、ある時は幻影を率いて、王様ゲームに熱狂する。カーニバルは永遠に続く。  王様のお通りだ。大名行列だ。ところが王様は瞬間瞬間で変わる。ああここか。男の子と違うところ。  彼女は女子でも男子でもない。八年も観察してきたわたしだからわかる。  最近表情が豊かになった気がする。ライブ楽しみにしてんのかなと思ってたら、なんか行けなくなったそうだ。残念。結構ミーハーなんだよな。飽きっぽいっていうか。  ……あれ?  それわたしじゃん。  わたしに似てきた、のか? ……いやー、全然違うよ。全然わたしじゃない。そもそもわたしであっちゃいけない。彼女は彼女でなくちゃならない。  だって、キモイじゃん。  とにかく、夏休みバンザイ。彼女から離れられる。  なんかひどいこと言っているように見えるかもしれないが、正直そう思うのだから仕方ない。彼女嘘嫌いだし。アレルギーって言ってもいいくらい、嫌い。よく困らされたもんだ。「嘘も方便」とか小学生が言っちゃいけないような言葉使って諭してたもんなー。  でも、わたしも嘘は嫌いだ。好きだけど。嫌いなのか? いやそもそも好きか嫌いかわからないから、嘘をつくのだ。嘘になっちゃうのだ。そうそう、応急処置って奴。前言撤回しちゃえばそれは嘘になる。それだけのこと。  だからむかつく男友だちを、むかつくけど、誘ってあげたのだ。  応急処置でね。  応急処置なのに、ヘンに意識してる二人が、とても面白かった。  わたしもカワイーとこあるじゃーん、って感じ。  さー遊ぶぞー!     ●  7月20日(日)の夢  終業式。のち初OD。  20時間寝ただけだった。  余計痛い。そういうものなんだろう。  薬はムカデだった。皮膚と肉の間をムカデが這っていた。夢じゃない。夢じゃない!  違う!  夢こそが現実だ!  だって、痛い。  ムカデが這うたびに、痛い。本当に痛い。  友だちが笑っていた。笑って。あなたにはこれをうつしたくない。だから笑って。もっと笑って。もっともっと笑って。  あなたにはうつしたくない。だってあなたがムカデなのでしょう? 私の薬。私を助けられる人。ムカデの母胎。  ごめん。POLYSICSのライブ行けない。こんなんじゃ行けない。  いろいろ検討中。  私は、ムカデの群れの中に座りこもうとしている。  私が欲しかったのは、ムカデだった。  ニコ動でIKZOリミックスを漁る。  ムカデたちが踊っている。  ネットでこうなんだから、ライブなんて行けるわけがない。  意外と冷静。  見た目はとても落ち着いている。多分。しみじみとぐぐっている。     ●  7月27日(日)の夢  ここ三、四日、一歩も家を出てないことに気づく。  痛みは意外と落ち着いている。でも痛い時は痛い。慢性的だったのが、局所的になっている。局所的だから、余計に痛い。ODなんかするんじゃなかった。  計画は立った。いろいろ吟味した。  母が夏休みに入る前に実行しなきゃ。  実行するなら。  死んだ後のことなんか知らない。  私はムカデの中に座っていたい。局所的なそれを、永遠のものにしたい。  ムカデはあなただった。  皮膚と肉の間に、あなたが生まれる。たくさんのあなたはもっとたくさんの卵を生みつける。たくさんの二乗のあなたが、私を痛めつける。  もう、あなたが誰なのかわからない。     ●  7月28日(月)の夢  母にも、感謝してる。感謝してしまう。感謝するようになってから、どれだけ憎んでいたかがわかった。私は母を憎んでいた。憎み方がわからなかったので、憎いと思わなかっただけ。  でも今は違う。本当に感謝している。このムカデは、あなたでもあるのです。私の皮膚や肉も、あなただったのです。世界は、あなただったのです。だから、感謝している。私を苦しめてくれて、本当に感謝している。本当に。ありがとう。  イヤだ。  だから悲しまないで。  死にたくない私が言う。  死にたくない私が、死後を想像する。そうやって私を死なせないようにしている。  もうたくさんだ。こんなのたくさんだ。痛みに座りこむのだ。子供がだだをこねるように。  何かの小説で、頭では死のうと思っているのに、体が生きたがっている、みたいなシーンがあった。  嘘だとわかった。  頭が生きたがるのだ。体が死にたがるのだ。痛みそのものが死を望んでいるのだ。  小説なんてフィクションなんだから、別にいいけど。面白かったから、それでいい。  私は、ムカデを永遠にしたい。  ただそれだけ。  母には感謝している。だからなるべく汚さないようにしたい。  首吊りは、大小便が漏れることがあるらしい。もちろんその前にはトイレに行くつもりだけれど、念のため、下に新聞紙を敷いておく。死んでからもそんな雑事に煩わせるのは、本当に悪いと思っている。本当に感謝している。母への感謝の印。  友だちには、悲しんで欲しくない。単なる私のワガママだから。ここの読者のように、笑って見てて欲しい。あなたが私を嫌いでも、私を愚かだと思っても、私を哀れんでも、私には関係ない。あなたはそのままでいいの。私は、あなたの感情が欲しいわけじゃない。私は、薬としてのあなたが欲しい。  ムカデとしてのあなたが。  だから悲しまないで。私には関係ないことだから。  7月28日(月)の夢  文字を書いてると調子がよかったことの謎が解けた。  文字はムカデだった。  線の一本一本が、ざわざわと蠢いている。  7月28日(月)の夢 「コード引っこ抜いて首吊っとけ」  みたいなのあったよね。  まさか本当にやるとは思わなかった。  7月28日(月)の夢  ごめんなさい。  本当にごめんなさい。  悲しまないで。  そんなことのために死ぬわけじゃない。  悲しませたくないの。  単なる私のワガママ。  ムカデの群れに座っていたいだけ。ムカデになりたいだけ。  あなたを悲しませようと思ってるわけじゃない。  本当に。  あなたはそのままでいて。  それだけは、  お願い、信じて。  7月28日(月)の夢  7月28日、午前11時20分。当ブログの筆者は、首を吊り、自殺しました。  この文章も本人が書いています。  ご愛読、本当にありがとうございました。     ●  ライブから帰ってきて、いろいろ脱力していた時に聞いたからか、体に電流が走ったかのように、一瞬、わたしの体は痙攣した。  彼女が亡くなった。  自殺だそうだ。  震えるほど驚いたクセに、現実味がなかった。  夢の中にいるようだった。  泣きもせず、何も思わないまま、数日すごした。  思うこともなくはなかった。  うっすら、後頭部のさらに後ろの方で、 「やっぱり」  みたいなことを思っていた。  何がやっぱりなんだ。  何をもってやっぱりと思ったんだ。  わたしは後ろを振り返る。  当然、誰もいない。     ●  夏休み後半は、いろいろいらいらしていた。  お葬式の後、ちゃんと塩を振ったのに、何かがこびりついている気がした。  実体なんかなかったはずじゃないのか?  おかしい。絶対おかしい。自分の考えが明らかにおかしい。事実と合致しない。  なんだこれは。何かが伝染している。じわじわとウイルスに侵食されている。  そんな感じだった。  彼女はブログを書いていた。  夏休みも終わりに近づいたある日、わたしはやっとそれを見た。  話には聞いていたが、どうしても見る気が起きなかった。このいらいらを自覚するようになった今、やっと見ることができた。  ブログタイトルは、『モノ(ブ)ローグ』。微妙なセンスが彼女らしいと思った。  さらっと数日分読んだ。文章がわたしの頭を素通りしていった。日本語がわからなくなったかと思った。言葉が素通りしていくたび、わたしの頭はぐちゃぐちゃになった。  一日百前後のアクセスがあった。コメントは承認制になっていて、当然ながら、死後全くついてなかった。少し安心した。軽く話題になっているみたいだから。  自殺実況ブログなんて結構ありそうだけど、と不思議に思って、ブログタイトルで検索すると、あるブログが引っかかった。心理学かなんかをやってる人のブログで、 『「モノ(ブ)ローグ」を精神分析してみる。』  というエントリーだった。  めちゃくちゃ長文で、しかも難しい言葉ばっかで、何を言っているのかよくわからなかった。本当に言語感覚がおかしくなっているのかもしれなかった。  だけど、 『彼女が求めた「薬としてのあなた」とは、死そのものである。』  という文章に、わたしは何故かひどくむかついた。あまりにもむかついたので、無断で転載した。  一旦むかつくと、他にむかつくところがぼろぼろ出てきた。 『このテクストは、一つの芸術作品として解釈されねばならないだろう。筆者の自殺というアクティングアウトを含めて。』  殴ってやりたくなった。目の前にいたら、間違いなくモニターで殴りつけていた。  そういうわけにもいかないので、コメントを書いた。むかついていたけれど、どう書いていいのかわからないので、大人しく簡潔に書いた。 『死が薬というのはおかしいと思います。実際に彼女は亡くなっています。』  しばらくしてからパソコンを立ち上げると、返信が来ていた。やっぱりよくわからなかった。日本語喋れ、と言いたかった。日本語だけど。  要するに、ここで言う「死」とは象徴的なもので、それがたとえば特定の人物であったとしても、それは「死を象徴する誰か」ということ、らしい。自分でまとめてみてもよくわからない。  半分どうでもよくなっていたが、このまま引き下がるのも気持ち悪かったので、彼女のブログを読み返した。  あるエントリーを読んで、わたしは震えた。ぞっとした。  わたしのことが書いてあった。名前は出ていないけれど、明らかにわたしのことだった。  素通りしていた言葉たちが、急に形を成していった。  彼女はわたしを「友だち」と表現していた。 「薬としてのあなた」とは、わたしだった。  手が動かなくなった。目の前が真っ白になった。何もできなくなった。  そのままベッドに潜った。  眠れるわけがない、と思ったけど、知らない間に、寝てた。     ● 『「モノ(ブ)ローグ」を精神分析してみる。』より抜粋。  ――このブログは、ネットの一部で「リアルヤンデレブログ」などと呼ばれ、寡少ながら話題になっていた。私がこのブログを知ったのも、そんな話題の中でだった。  しかし私は、最近のヤンデレ物と呼ばれる作品については、否定的である。深層心理学などというひねくれた学問を学んでいるせいか、それらの「ヤン」でいるキャラクターたちについて、なんら「ヤン」でいるとは思えない。  いや、症状的には確かに「ヤン」でいるのだ。しかし、それに向ける視線が、全く「ヤン」でいないのである。つまり、ヤンデレ物の多くは、その作り手あるいは受取手たち(私含む)は、正常人の立場を安穏と保持しながら、「ヤン」でいる者を描いているあるいは享受しているように見える。それが私に不快なものを惹起させている。  私は、学術的な立場においてそのような主張は否定するが、個人的な経験から言わせてもらうならば、「狂気は伝染する」と思っている。これは、精神分析学においては転移という概念において語られるべきものであろうが、個人的な意見として言わせてもらうならば、転移的なものではあるが転移ではない。  巷の多くのヤンデレ物には、この伝染性が全く感じられない。  もちろんストーリーとして「狂気が伝染している」状態を描いている作品もある。しかしそれはキャラクターとキャラクターの間での話であって、既にこの伝染性がフィクション化されている。私が言いたいのは、それを作っている人間やそれを見ている人間に、狂気は伝染しているのか? という問題提起である。  もちろんフィクションという制限があるのは理解している。それこそこのブログとヤンデレ物などを比較するのは間違っていよう。理論的にも、道徳的にも。このブログから多少なりとも狂気が伝染したという私の心的事実は、このブログが事実として存在し、事実としてその筆者が自殺した(であろう)という情報により構成されたものである、と。一方、ヤンデレ物と呼ばれる作品群については、前提としてあるフィクションという情報そのものが、狂気の伝染に抗するワクチンとなっているのだ、と。  それは理解している。  その上で、私は問題提起したいのである。  フィクションにおいて、狂気の伝染を求めるのは間違っているのだろうか。  そもそもフィクションなどといったもの関係なく、狂気の伝染に目を向けることは間違っているのだろうか。  当該ブログから引用する。  いいんだ。それでいい。私はあなたたちにこの苦痛を伝染させたがっているのだから。笑っているうちはまだ予防できているってこと。その方が私もいい。  でも、伝染させたい。でも、書いてしまう。  ――最後に軽く、理論的にも道徳的にも誤っていることを承知しつつ、あえてこのブログとヤンデレ物と呼ばれる作品群を比較考察してみたい。これは、「フィクションにおける狂気の伝染の可能性」にも、ささやかながら益する指摘だと思っている。  先にも触れたことだが、「薬としてのあなた」は、その「人格」や「感情」を排除されている。これが「ムカデ」に変容していく様は、クライン論における部分対象や死の欲動を惹起させる。ラカン論ならば対象aとなろうか(そういえば『ひぐらしのなく頃に』のアニメEDはそのようなタイトルだった)。  この「人格」や「感情」を排除された「薬としてのあなた」こそが、一つの部分対象だと言ってもよいだろう。まさにライナスの毛布である。  ここに一つのポイントがある。  ヤンデレ物におけるヤンデレキャラの「デレ」は、そのほとんどが他キャラクターの人格や感情に向けられてのものだ。  クライン論によれば、部分対象が愛により統合され人格が形成される。即ち、ヤンデレ物における「デレ」は、人格が形成された後の「デレ」の領域から脱せられていない。フロイト風に言うならば、彼女らは去勢されている。  要するに、相手の人格や感情に「デレ」るキャラクターたちは、まだ正常人でいられているのである。対象が、部分対象化されていないのだ。  とはいえもちろんその症状は、表面的には「ヤン」でいる。境界性人格障害や解離性障害を思わせるものが多い。しかし作り手たちは、あまりにも症状の表層に囚われていないだろうか。正常人である作り手や受取手に妨害され、ヤンデレキャラたちは狂気の深淵に落ちて行けないのである。  一方、このブログにおいては、繰り返しになるので詳しく述べないが、主体の生きている世界は部分対象化されている。その象徴が、人格や感情を排除された「薬としてのあなた」である。  確かに部分対象とは死の欲動的なものである。攻撃的であり破滅的である。事実、ブログ筆者は自殺した。  しかし反面、まさしくライナスの毛布としての、薬としての作用もあるのだ。  理論的には手垢に塗れてしまっているこの臨床事実を、私はこのブログによって思い知らされたのである。  部分対象は、愛によって統合される。であるならば、部分対象こそが、愛の種、愛の本質とでも言えるべきものではないだろうか。ラカンはそのような意味で対象aという概念を設定している。  このように考えていくと、人格や感情に向けた「デレ」だけではなく、部分対象的な「デレ」を発露するのが、ヤンデレの魅力ではないか、と私は思うのだ。むしろ、この部分対象的な「デレ」に伝染したくて、私たちは「ヤン」でいる者を求めているのではないか。  主観世界が部分対象化された主体は、妄想分裂態勢という名が示すごとく、狂人である。「ヤン」でいる。  それならば、むしろこう言うべきではないかと、私は考える。 「ヤン」は「デレ」を既に含んでいる、と。     ●  自分ではそう思ってなかったけれど、わたしのいらいらは周りから見てわかるほどだったらしい。  夏休み恒例の宿題交換会で、あるクラスメイトから注意された。 「荒れてんねー」 「あ、荒れてないっすよ」  小力みたいなリアクションをしてしまった。  このいらいらオーラは、当然と言えば当然だが、家族にも伝わっていた。  お風呂上りに、缶チューハイを飲んでいた。最近酒量が増えた。母にも一度注意された。放任主義を自負している母に言われるくらいだから、よっぽどだったのだろう。  母が、わたしの背後を回って、食卓の向かいのイスに座った。小心者のわたしは、気配を感じた時点で、缶チューハイのラベルを手で隠していた。そんなことをしても無駄なのに、何故かそうしてしまう。  だけど母は、わたしの手の辺りを一瞥しただけで、何も言わず、溜息をついた。っていうかあんたの酒量と比べたらかわいいもんじゃねえか、ええ? 妊娠中にワインボトル二本開けたとか言われて本気でちょっと不安になったんだからな。なんかわたしに悪影響あったんじゃないかって。  みたいなことをいつもなら言ったのかもしれないが、言えなかった。いらいらオーラを隠したかった。  そんなわたしを冷やかすかのように、母は冷蔵庫から発泡酒を取り出す。開ける。飲む。いい飲みっぷりだこと。  母もわたしに輪をかけてお喋りだ。そんな二人がじっとり黙っている食卓なんて、なかなか見られるものではない。  綱渡りのような沈黙に、母が先に折れた。 「あたしもさあ、そういうのイヤなんだけどね」  この人に筋道立った会話を求めるのは無理ってものである。 「あの子のウチ、共働きじゃない」  誰の話をしているのか、何故だか瞬時にわかった。 「お父さんは海外にいるんでしょ? お母さんも苦労してたと思うのよ」  苦労「してた」という過去形に、缶を持つ手が強張る。 「あんたが小学校の頃ね、PTAで変な噂が流れて」  教育熱心なわけでは決してない。飲み会の口実のためならなんでもするような女だ。 「彼女のところの、おじいさん、だっけかな。その人がちょっとおかしかったらしくてさ」  ベコッ。  強張った手が缶を凹ませていた。 「もちろん家族なんて所詮他人だとあたしは思ってるから、そんなのどうでもいいと思ってたけど、彼女の家系、そういう人が多いって噂がね」  ……だから何? 「それもね、……なんか、死ぬまで隠してたらしいのよ。おじいさんの病気を。だから、お付き合いもほどほどにしときましょう、みたいなさ。よくあるパターンよ。あたしは逆にそういうの嫌いだったから、なんにも言わなかったんだけどさ」  知らない。よくあるのはあんたの頭の中だけだ。 「……ああ、あの子がそうだって話じゃないのよ、そういう話があったってこと。お母さんもいろいろストレス溜まってたんじゃないかな」  ベコッ。  今度はわざと凹ませた。 「なんだかんだ言って長く付き合ってたじゃない。あんたたち。……大丈夫?」  母が小首を傾げ、下から覗きこむように、わたしの顔色をうかがう。 「大丈夫」  大丈夫じゃない。  気持ち悪い。  吐きそう。  缶の中に、わたしの内臓がつまってたかのようだ。体の中からいろいろなものが逆流してくる。 「……トイレ」  リヴィングを立ち去った。  トイレに入った途端、吐いた。  便器の中の吐瀉物を見て、今日一日何も食べてないことに気づいた。  視界が歪んでいた。わたしは泣いていた。  そうか、わたしは泣きたかったんだ。  やっと気づいた。  気づくと、涙は後から後から溢れてきた。吐き気も治まらず、泣きながら時々吐いた。  わたしは、便器にしがみついたまま、延々と吐いて、泣いた。